結婚式までの日記+αを見せていただいておりまして。

 毎日お疲れ様です。

 私の結婚式は怒涛のようだったなぁ、と。はじめ何もせんでいい言ってた嫁の実家がやっぱり結婚式だけは、でも披露宴はしないで、結納もしてもらわんなんと言い出して。
 その言葉に腹を立てた父親、付き合いのあった所を総動員しました。
 結納セットが出来上がるのに1週間、30万ほどの品だったそうですが、納品に来たその店(福井では老舗)の旦那さんが、『長い間この商売をしてますが、一週間でやれ言われたのは初めてですので、もし誤字があっても勘弁してください』と言って帰ったとか。怒ってるんじゃね?と。
 結婚式は1ヵ月後にやるぞ!となって、初めは実家の店でこじんまりとやる予定だったんですが、こうなったらトコトンいくぞ!と父親。結婚式は佐佳枝社さん、食事会は某ホテルで。打ち合わせの席上、副料理長(和食担当)が来られて『料理のことは親父と相談して一切合切こっちでやる。まかせとけ』と一言。いや、それこそ『了承(1秒)』の気分。以上食事会の打ち合わせ終了と言う事で貸衣装屋へ行けと。こっちは嫁さんの領分。白無垢一着だけでいいとの事で瞬殺。お色直しは?ドレスはいかが?そんなもん着てる間無い。訪問着があるからそれ着る!私のほうも紋付袴を借りて終了。それでも2時間ぐらいかかって。で、その後新居の下見。これが後々問題を引き起こすのですが、もう迷っている間もなくそこでいいや!と単純に決めてしまって。
 その3週間後、もう新居に居りました。で、翌日そこから会社に。朝礼でお祝いを頂きましたが皆驚くのなんの。『結婚式は』『一昨日済みました』『新婚旅行は?』『行きません』
 なんとも味気ないもので。昔からの癖で指輪もせずにいるものですから嫁さんは怒ったんですがね。
 
 今思い出しても、慌しかったなぁ、と。嫁に言わすと披露宴をやってないから出来た事だと。確かにそうだなぁ。

 ちなみに嫁さんの弟さんの披露宴は盛大でした。始まるまで父母と3人、無言でコーヒーを啜っていたのを思い出します。よく見ると父母と私のカップが違う。それどころか、父母にはお茶菓子が付いていまして。
「あれ?父ちゃん、何でお茶菓子付いてるの?」
「自分で頼んだからだろや」
「ドリンク券は、貰わんかった?」
「どこで誰が配っていたの?」
 受付を見るとはしゃいでいる方々。親族・会社・友達関係も皆新郎新婦の友達で固めていたのですが。いや、自分も同じような事をしましたからあの時はMASさんに申し訳なかったなと。影でたくさんにダメだし貰ったし。いや、あれは叱られて当然だったんですがね。
 ちなみに父母、タクシーチケットも貰わなかったんだとか。どうやって帰ったんだと聞いてみるとタクシーだとか。えと、結構ありますよ?四の五の言うのも邪魔くさい。そういう会話を後でして。なんとも、結婚披露宴というのも難しいものですね。
 ちなみに私は、この時親族席にいて一人で注がれまくってました。逃げ出そうにも誰もいないし、注ぎに行くにも誰が誰だかわからない。義父義母はどっか行ってしまうし、義姉夫婦は子供がぐずると廊下、嫁は写真撮影。
 シブヤン湾での武蔵乗員はさぞかし悔しかっただろうなぁ、などと罰当たりな事を考えながら沈没。どうも、それ自体義父義母の作戦だったらしく後でずいぶん謝られましたが。『でもきょくせんさん、酒弱いんやね?』脂肪肝である人から酒は飲むなと言われてて、それで飲まずにいたら飲めなくなったんですってば。悔し紛れにそういいましたが、旧友たちは笑うだろうなぁ。