酸素濃度の上昇が

 多細胞生物を生んだんだとか。そんな事を洗浄機の前で思い出していました。

 酸素というのは、それ即ち生命にとっては毒な訳で、純粋酸素の中で生物は長くは生きていられないんですね。これは酸素が発見された時に実験結果として出ている訳で。

 んで、地球の酸素分圧が高くなった時、生物は多細胞生物へと進化したんだとか。進化と言う言葉もあいまいなもので、それが完全なる淘汰であればこの世には単細胞生物なんてモノは存在しなくなっているはずなんだけれども、それがいるという事は多様化しただけであって、進化には有利も不利もないんだろうな、と漠然と。

 昔から不思議だった事は、ミトコンドリアなり葉緑体なりは何を思って細胞の中で生きているんだろうか、と。一部自分の複製シグナルを宿主細胞の判断に委ねてまで。もちろんそのお陰で、ミトコンドリアはPCに於けるWinの様に多細胞生物ならほぼすべての細胞内に存在し、それこそアホほどの数がこの地球上に存在している訳で。……比喩としてはむしろリチウム電池とでも言った方が良かったか?機能的にもなんにしても。

 閑話休題
 そもそもなぜ多細胞生物は多細胞になったんやろうか、とも。酸素分圧上昇による酸化ストレスから身を守るには一番の手段なんでしょうけれども、それならば粘菌や海月のような処し方もあった訳で、なにも機能分化までする必要はなかったんじゃあないかと。少なくとも、動物のように脱分化能や再分化能を捨てる必要もなかっただろうと。

 信長が天下を統べる事が出来たのは、それまでの農民軍をやめ常備軍を備えたからだといい、結果一年を通して戦争が出来る様になったからだと。
 社会が機能細分化するにはもちろん農業生産能力の上昇と都市の発達、それによる人口の集積と結果として発生する情報の集中・ライブラリ化、経験の共有化などが必要な訳で、例えば日本料理の板前はまず料理屋が存在し得て、その上で食材を供給してくれる人がおり、それを食べにくるお客がなければ存在し得ない訳で、板前は日々料理というものに関わって行く事で、一日14時間も厨房にいる事で料理と言うものの技術や知識が集積され、結果板前は腕が上がるのでしょう。

 肝臓は肝臓として存在する事で、それまでの脂肪体だった頃よりもその化学工場としての能力を発展させ、結果その種はそれまでの種よりも何らかの優越点(寿命や環境適応能etc)を得るんでしょう。ですが、肝臓は肝臓としてのみ存在しえなくなった訳で、肝臓はそれ単体として海をさまようことは出来なくなったんですな。いや、さまよってるかも知れないですが、多分それを見たダイバーは吹くでしょう。いや、飲むか?まぁいいや。

 自給自足が出来るのならば、何も工夫はいらない訳で。生きて行くに困らないのならばなにも仕事はしなくて良いと。
 科学なりが発達した地域と言うのは往々にして自然環境が厳しい所で、時には神の御業を解明するために〜というような場所もなくもないのですが、まぁ、そういうのはかなり少数派。たまには暇に飽かせてってのもありますか?阻害するのが神の名の下〜改善そのものを否定している思想群というのもありましたっけ?まぁ、うん。
 一旦社会が分化しちゃうとそれは時間軸に沿って複雑化して行き、その社会が崩壊するまで細分化を続ける訳で。時々は社会維持の為にその社会を輸出しようとしたりもするんですな。いい迷惑ですけど。

 んあー、なんだっけか?

 あー、そうか。ともかくアレだ。なんでご先祖は大脳を発達させようと思ったんだろうか?世の中の問題の大半はそれなんだろうな、とも。

 あとあれか。社会の分化を即する酸素ってのは欲望なんだろうな、と。
 多すぎると死んじゃうってのも。