歴史教育ということhttp://d.hatena.ne.jp/nekomurasaki/20040827

 どっかでも書いたことがあるんですが、歴史と言うモノは大きく分けて二つの機能を持っているんだと思うんです。

 まず一つは、指針としての歴史。
 歴史は繰り返す、正確には歴史は良く似たパターンを繰り返すため、それを学んでおけばこの先どういうことが起きるか、どうすればそれが防げるかを考えることが出来る。その基礎データ蓄積を目的とした歴史。
この立場をとる場合、事件や出来事を様々な視点要素から考え検討する必要があり、その解釈にはかなりの自由が許されます。

 もう一つは体制を支えるための歴史。
 体制というものはそれを正当化しなければ成り立ちません。何しろ、体制を維持するには様々な不利益を人々に与えます。しかし、現体制が正しいのであれば、その体制を愛しているのであればその不利益を構成員達は甘んじて、上手くすれば喜んで受け入れてくれる。その手段としての歴史。別に宗教でもいいんですがね。
 この場合、前政権の歴史をまとめるという仕事は現政権のものである訳で、現政権は前政権を倒したからこそ存在し得、だからこそ現政権は前政権は悪であり倒されるべき存在であったのだと喧伝するために歴史を編む。 
 したがって、この場合の歴史は一つの解釈しか許されず、多種多様な視点を持つ事は禁じられます。
 
 えーと、この辺でケーススタディでもやりましょうか?
 例題は『原爆』です。
 皆さんもご存知のように広島・長崎に投下された原爆はそこに住む市民、軍人、老若男女を問わずそれまで想像も出来なかったほどの被害を与えました。
 日本人にとってこれは悪ですよね?で、その不当性を訴えようと被害者団体がアメリカで展示会をやろうとすると様々な方向からの圧力で潰される訳です。なぜならば、原爆は正義の鉄槌だからです。
 原爆は、沖縄戦を経て行なわれるはずだった九十九里浜上陸作戦や九州侵攻で流されるはずだった日米双方の血を流させずに済ませた唯一の方法だったとされます。だからアメリカにとっては正義。
 あと、中韓にとっても正義でしょう。なんせ憎むべき日帝を打ち倒した神の炎です。その威力を恐れるどころか我が物にもせんとしました。時々忘れている方もおられますが、中国は核保有国ですし、北朝鮮核武装を進めようとしている。だからといって私は日本が核武装や先制攻撃能力を持つべきだとは考えませんが。
 国家を超えて。反核主義者にとっては原爆は悪です。大国志向者にとってはステータスシンボルであり、それは絶対外せないアイテムなのでしょうね。軍オタにしてみれば研究の対象でしょうし、被災者家族にとって見れば『忌』そのもののはず。
 後、一部主義者にとってはそれは道具になります。反米を煽る道具。アメリカに追随する現体制を叩くための道具。私は彼らに弔意は無いと確信しています。もし有るんだったら、アメリカだけでなくロシアや中国、北朝鮮。インドやパキスタン、イギリスとフランスも叩くはずなのに叩かない。ほら、これは道具だ。
 
 各立場にとって、原爆と言う悲劇一つを取ってもその捉えかたは変わります。なんせ、立場が違うんですから。
 時々、その立場が違うと言う事すら否定する人もいますが、それはそれ、彼らは幸せなのだろうなと。いいなぁ、俺もそんな風に思えたらどんだけ幸せだろうにな、とうらやましくなることもあります。まぁ、それを現実逃避と言うんですが。

 あれ、話があっちに行ってしまった。で、です。私は歴史の二つの機能、どちらが良い悪いとも思わんのです。何しろ、前者ばかりだと統制が取れなくなりますし、後者ばかりだとどうしようもなくなる。塩梅ですね、やっぱり。出来れば8対2程度で。それが私の理想かな。解釈を強制しない歴史。そういう意味では今現在の日本の歴史教育……年号暗記重視というのは良いのかもしれませんね。最近はいろいろありますが。

 うー、あんままとまんなかったですな。精進精進。