こうはいのそうしき

 生々しいのでひらがな表記。しかもこれをテーマにしていくバカ。
 初めて後輩を失ったのは、もう10年以上も前の事でした。失ったってのは妙な気だけれども。
 
 その日は夏休みの一日で、同じように帰省していた友人と二人で駅前のチェーン居酒屋に飲みに行ったのでした。帰り道、トボトボと二人でその現場の踏み切りの手前で別れ、タクシーを拾って家に着くと母親が笑って。『あんた、無事やったんね』と。何のこと?と聞いてみると踏み切り事故で軽自動車が大破、乗っていた2人が死亡、1人が重体だとの事。へー、あの踏切でか、と思っていると先輩から電話。
「おい、Mがしんだってホントか?」
 私の実家は彼の家から歩いて10分ほどの所で、慌てて聞きに行くとお婆ちゃんが居られて。夜分すいません、M君は?と尋ねると涙を流して、ダメでした、と。
その頃、宇都宮のアパートには各方面からの連絡が来ていて、どうも皆病院に駆けつけていたらしく。当時はまだ携帯なんてものは無く、なんとか連絡を取り、お通夜は翌々日で、高校に集合するとの事で。
 話に聞くと、彼はイベントのスタッフで、打ち上げの帰り道事故にあったらしい。
 翌日、京都から戻ってきた先輩に随行してご自宅へ。お参りさせてもらい、少し話す。その先輩は学校の関係でお通夜も出れないとのこと。
 翌々日、高校に行ってみると、皆喪服で。女の子は目を真っ赤にしている。だが、場自体は同窓会のような雰囲気だった。何か妙な気もした。
 で、お通夜の式場。参列者はお父さんの会社関係者とその子の同級生、同窓生、私ら、イベント関係者。イベント関係者といってもその殆どは高校生で、その殆どは女の子。福井県嶺北一円の高校の制服。皆、目を真っ赤にして泣いていた。会場側はまさかそんな事になるとは思っていなかったのだろう。座席など足りるはずも無く、お父さんの関係者と年長者が席に座り、後は皆式場後ろの空白地に立っていた。
 読経が始まり、少女のすすり泣く声。沈痛な面持ちの男たち。
 みんな集まって泣いた所で死んだものは帰ってくるはずも無く、ならば死んだ時の為に日々仏さんにお参りするのがいいのです。そんな感じのお経さん。朝紅顔も夕べに白骨となれり。
 そうか、お通夜ってのは死んだもんのもんじゃないんやなぁ、などとボンヤリ。泣くに泣けず、ただ混乱して、その場に立ってました。
   
 お通夜が終わり、学生らは隣の駐車場で駄弁っている状況。何でこんな所で皆駄弁ってるんだ?
 そう尋ねてみると、じゃあ、飲みに行こうということに。いや、そういう事なのか?ボンヤリした頭で考えて。で、家まで送ってってもらって、父に連絡すると馬鹿か、と一喝される。そうだよな。馬鹿だよな。体調不良を訴え、飲みに行くのはキャンセル。で、近所のコンビニでカップ酒を買ってきて甞める。酒は弱いんですがね。ボンヤリと。
 ハテサテ、人間の価値なんてどこにあるんだろうなぁ、と。
 それまで、私は大学院に行って〜と思っていたんですが、結局その事がきっかけでやめてしまいました。きっと人間の価値なんてものは死んだ時に何人泣いてくれるかだろうな、と。いや、言ってしまえばそれは逃げだったのかもしれません。ここから始まる院受験勉強、不透明な社会情勢。そこから逃げ出すために彼を口実に使ったのかもしれません。まぁ、もしそれで罰が与えられてるんなら、今当たってんだとは思うんですが。
 で、誰が悲しんでたのかな、と。あの女子高生は皆悲しんでたんだろう、と。大人達はどうなんだろう。付き合いできてただけなんじゃないか、とか。
 
 で、葬儀の日。朝父親と口論となりました。
 福井の風習では、葬儀というものはごく近しいもので執り行うべきで、そんな若いもんがズラズラ顔を出すものではない。それにそもそもお前らは、あの子を殺した側の人間だ。
 ちょっとまって。殺したってなんやの。
 あの子はアニメのイベントの帰りに死んだんだろ。お前らはそのアニメの人間だろう。お前らはだから殺した側なんだ。実際どうだろうがかまわん。親は同じ年頃のお前らを見てどう思う。どう考えるか、考えてみい。
 確かに、そうだな、とは思いました。そうだろうな、とも思いました。ただ、そのまま家にいるというのは違うとも思っていました。電話がなり、東京から帰ってきた同級から。『何で葬式にこんの』明らかにその子は怒ってました。『ごめん』『ごめんでない、絶対にきね。でないとあんたとはもう一生縁を切る』
 切られてます。彼女はその時のやり取りを覚えてるかどうかは知りませんが、きっと覚えているのでしょう。
 で、1人足羽山に。足羽山には当時焼き場がありまして。で、出棺時刻から算出して、焼き場の見えるあたりに1人。それがそうだったのか、どうか。白い煙が夏空に。ボンヤリ見てました。
 帰り道、茶屋で冷やし汁粉を食べました。そして、腹を壊しました。
 タバコも買って吸いました。普段は吸わないんですが。で、自分は陳腐だなぁ、と思ったり。そう思う自分が救いようが無く思えて、笑ったり。でも、泣けないんですよね。泣いてやりたいんですが、泣けない。
 後日聞いた話では、精進落しというか、式後に集まっての宴会があるんですが、その席上が大騒ぎになったそうです。あの子の彼女がやってきて、泣きじゃくって行ったそうです。


 数年後、今から見れば数年前。小学校の頃の後輩を亡くしました。
 その子はうちの隣の子で、進学で名古屋にいたそうなんですが、バイトに行く途中大いびきをかいて寝てたとか。で、着いたら死んでたとか。『脳?』『多分』そんな話をしつつ、今度は運営側に立つ事に。
 父親の名代として、葬儀の手伝いに。
 お通夜の運営には仕事の関係から出れず、夏なので上着は無しで、喪章をつけて。お参りを済ませ、受付の立ち上げ、昨日の様子を語るご近所さんの話を聞いていました。
 式はお寺をお借りしてやってたのですが、名古屋から来た彼の友達らは泊まる所も無いという事でそのままお寺に泊まったそうで。お通夜には、酒と寿司が付き物。弁当なんかも出るんですが、その補給がえらい事だったとか。酔っぱらった学生はフラフラと近所に出ていくは、ビールが無いと暴れだすわ。男も女も関係なく酔いつぶれてて、何しに来たのか見当がつかない、と。
「ビール持ってったら、『ごっつあんです』って言われた」
 苦笑いのご近所さん。だー、そういうことか。精進落しに大騒ぎって。
 要するに、彼らはただ酒を飲みに来た一団としか見られてないのでした。いや、もちろん悲しんでいる奴も大勢いるんですが、飲んで暴れてるやつの方が目に付くわけで。そらそうです。だって、それを阻止に行くのが私ら側でしたし。
 で、葬儀。今日到着した子らも大勢。結局お寺には入りきれなくなって道にも溢れて。 
 式が始まり、読経。ある程度はわかるなぁ、と。一応仏教校でしたし、おんなじ宗派でしたし。ある程度してから受付撤収。計算をはじめたり。千円札を数えながら、読経を。何してんだろうなぁ、と思いながら。思い浮かぶのは小学生の頃の彼の顔ばかりで。どうも、遺影を見ても何か違うような気もしたり。その通りのような気もしたり。
 香典をまとめて町会長へ。その後は学生さんに混じって立ちんぼです。お経を聞き、葬儀屋さんの案内。じんわりと泣けて、町内の手伝いも皆泣き始めて。出棺。お父さんの挨拶。とても言えるものではなくて。涙に詰まりつつ、目を真っ赤にして。それを見て、また泣けたり。
 火葬場へ行くバス、見送る人は乗ってくださいと言う。最後の献花の為に花を持ってってください。学生達には笑顔が。何でこんな所ではしゃげるんや?泣いてたのかな、いや、違うな。
 宴会の場所へ残っている人を誘導。いえ、僕はそんなんで来たんじゃありません、と帰っていく学生。どこですか?と聞いてくる学生。複雑な気分。
 お供えを壊して袋に詰める。お下げとして宴会場へ。で、ご近所さんの車に乗せてもらい自分も宴会場へ。
 宴会場はご近所さんと親族の部屋、学生の部屋に2分割。準備をしていると、そろそろお前らも直れ、と言われる。直れったって、私ら手伝いに来てるんであって宴会にきたんとちゃいますやん。いや、手伝いが直るのがこの宴会の趣旨なんだ。そういわれて渋々。上座に近い所に置かれる。
『何でこんな所に座らんならんのですか?』
 そう聞くと、そういうものだとだけ。密かに町会長から、しばらくはあそこの家から目を離すなとの指示が飛ぶ。特に母親、ご近所さん連中の奥さんは必ず付いている様に、と。独りにするな、と。後を追いかねんから、と。背筋が少し寒くなる。
 宴会が始まり、ご親戚さんから心づけを渡される。いや、そんな、と言うと、いや、受け取ってもらわんと困る、と。酒を飲まされ、ご馳走を勧められ。別に嬉しくもなく、旨くもなく。
 少し酔いが廻り、部屋を出てみると学生が詰められた部屋から歓声が。なにしてるんだか、と。 コンパと勘違いしてえんか?と。
 
 帰って父親に次第を報告、貰った心づけを提出。いや、お前貰っとけ、と。
 あけると3万ほど。なんでまた、とボンヤリ。


 葬儀って、悲しむ場所だったんだろうな、と思うんですよ。
 違うんかな?と。
 ただ、もう学生の葬式には出なくて済みそうなのでそれが救いなのかもしれません。
 で、あと、関係者がこれを読まないことを祈りつつ。