思えば遠くに来たもんだ
学生時代、よくお世話になった薬局さんでボンヤリ商品を眺めながら、自分はなんになるんだろうと漠然と考えていたのを思い出しつつ。街中の刃物店を車窓から覗き込むと柳葉や洋刃がずらりと並んでいるのにふと考え込んでみたり。
食べ物屋は好きなんですが私は包丁がダメなんですよ。
一番最初についた職は旅行者に食事を提供する仕事でした。特に電車の人に。色々あってやめてしまいましたが根っこはあそこにまだあるんだろうと思うんですよ。
今の仕事は嫌いじゃないんですが、向いてはいないような気もします。営業にはやっぱ私は向かんのじゃないだろうかと。営業とは合わす事だそうですから、だとすると我が強すぎる私はあんまり向いてないと言えるんだろうと思うんですよ。
だからといって、文章で食っていく自身は無いなぁ、とも。色々書いてはいますが、他の人の分量やお話を見聞きすれば自分の才能の無さぐらいはわかるというものです。
で、結局自分は何がしたいのかな、と観光用のトイレに立ちつつ格子戸の向こうに見える町並みを考えていたのですが、やっぱりよくわかんないなぁ、と。
もう三十路ですしね、今から技術を身につけるってのはちょっと遅いなぁ、と。いや、遅すぎる訳でも無いんでしょうが、まぁ、中学からやっているような子にはかなわんのです。
で、ここまでペン一本でやってきた人の背中を見ていると、いや本当に見たわけでは無いのですが、自分の覚悟が中途半端であることに。
学生時代、ある先輩が『もし俺がラーメン屋になったら他の事何も考えてる暇なんてなくしてしまう』といっていたのをカチンとしながら聞いてたんですが、それはそれで誠実と言うものなんだろうな、と。
しかしま、ボツボツ身の振り方も考えておきませんとね。
貯金を食いつぶしてしまいましたし。
新潟県中越地震。今のところ男の子だけが助かっているとの話。奇跡的という言葉はこの為にあるのかもしれませんが、もう一つ、奇跡を望むのはいけない事でしょうか?