保険とか。

 災害があると、国が面倒を見てくれます。これはありがたいことだなぁ、と。7月の水害で福井県は寄付された2億円の宝くじを被害世帯に分配しました。これは正しかったと思います。一人当たり2万円でしたっけ?私も会社で被災したんですが、会社の皆さんからのお見舞金を頂きました。これはカンパで集まったものを被害程度に応じて傾斜分配したそうです。私は自家用車が一部水に浸かった〜CPU1/3浸水、床冠水だったのですが、そんな被害は被害とはいえないぐらいの被害だった訳で。
 昔、災害があった場合その救済機関は寺社仏閣だったそうですね。お坊さんが被災者に炊き出したり。ただ、そのお米とかってんは大抵寺社が受けた浄財や年貢だったらしいんですが。また、名主と庄屋さんと呼ばれる人たちもそういった機能を持っていたようで。都市部に対してはその藩なりなんなり。
 国ってのは結局最初は庇護機関として作られたのがはじめなのかな、と。勿論、権力者の為の機関として作られたって考え方も出来るんですが、人が人として扱われないという環境になれていないので想像しにくいのですよ、私には。人が人として扱われないってのは、今でも結構やられていることではあるんですが、学校とか、職場とか。もしくは家庭とか。ただ、それはそうする人間は人間のくずであると現在の道徳は規定しているはずなので、また、現代社会はそういうくずはいないものとして運用されてるんでこの場合割愛。
 しかし難しいですねぇ、このあたりは。
 国が強すぎると、民が成り立たなくなるという話があります。例えば結婚式場。平安閣とかそういった民間機関が頑張ってる所にドカンと厚生年金会館とか。浜の網元の民宿とか、そういったところが細々頑張ってる所に簡保の宿とか。国民休暇村とか。なんでまた、国の予算でそんな事すんねんな、と。国による民業圧迫ってのは、結構切実な気もするんですよ。なんせほら、あの人らタテモンの減価償却なんか気にしなくていいですし。
 で、日本人はどうも保険をかけるという概念が薄いような気がするんですよ。いざとなれば国が面倒見てくれると思っているような。それはそれで良いのですが、助けに来た自衛隊に遅いだの、カエレだの。助けてもらってありがたい、ではなくて助けてもらえて当然だと。いつから税金はサービス料になったのかなぁ、とも思ったり。だとすると、もうちょっと国は効率を上げてもらわないと不効率過ぎやないかという疑問もわかんのかな、と。
 私は、年貢だと思って見てるんですからいいんですが。
 だからといって、それを如何にして取って来るかなんて事は考えてなどいないのですが。

 さてどうしようかなぁ、地震保険、かけとこうかなぁ。



 さてさて。それでは。