結局

 下手くそなんだろうな、と思うのです。
 嘘をつくなら突き通す。自分の行動には責任を取るべきなのです。そんなことはわかっているんですが、出来ない自分を見る。やってしまってから後悔する。ごまかそうとしてみる。結局見破られる。そりゃそうだ、ごまかせる様な相手ならば最初から話などしていない。

 そもそも、利巧には出来てませんからね。
 
 病気のせいにしてしまえば楽なんでしょうが、それは信義に悖るとも思われて。


 昨日から『皇国の守護者』を読み返しています。未完の大家・佐藤大輔先生。
 はて、私これ以上何か書くものがあるのかと思いながら。
 読んでいてつくづく思うのは、結局自分は人間が嫌いなんだろうな、と言う事で。私は人間描写が出来ません。つまりは見てこなかったんじゃないかと。言い訳をすれば、人を見れば嫌な所が見えてきます。でもそれは結局鏡な訳で。いい所だけ見ようとすればするほど、うっかり見つけた嫌な所で落胆する。
 で、人と付き合うのを出来る限り辞めようと思ったんじゃないかと。どうせ相手も不快に思うんだろうし。なら、お互いの為に、と。こんなんが良く今まで営業でこれたなと思います。
 数少ない友人らも良くもまぁ、こんなのにつきあって下さるものだと。こうしてマイミクの皆さんにも迷惑かけてますしね。

 時々生まれてくる時を間違えたんじゃないかと思います。
 多分、200年ぐらい。70年でもいいか。この体では『フルメタル・ジャケット』の冒頭、トイレに籠もり、説得に来た下士官を殺して自らも銃口を咥えて死んだ新兵と同じ末路を辿ったのでしょうが、少なくとも、戦友の盾位にはなったんじゃないかと。

 子どもの頃から、そんな話を聞かされて育ちましたし。鯖江三十六連隊は二百三高地の攻略戦で戦死者を土嚢代わりに積み上げて、その上に倒れ、それを神戸の連隊が乗り越え、さらに死んで行ったとか。それが真実なのかどうかは知りません。
 ただ、何かを護る為に自分は生まれてきたんだろうな、と漠然と考えていました。どうせ、死ぬ為に生まれてきたのだから、誰かの役に立って死にたいと。
 離婚騒動の時には、イ○○エル大使館の前で焼身自殺をしようと本気で考えていました。ちょうど、そういう時期でしたし。そういう手管は、高校の頃叩き込まれていましたし。今回は、それがなかったので流石にやばいなと思って精神科にかかったんですが。

 だから、いつかは身を賭して何かを護らなければならない瞬間があるんじゃないかな、と期待して。それは、妄想なのかも知れません。


 今31ですから、うちの家系の平均余命でもあと30年は生きて行かなきゃいけません。
 時々、暗沌する事があります。
 でも、生きて行かなきゃならんのだろうな、と思うのです。

 結局人は、何かを成すか、何かを護る為に生まれてくるのだと思うのです。その為に、時間を紡いで来たのだと。
 ひょっとしたら、ご先祖さん方に申し訳が立たない末路を辿るかもしれませんが、まぁ、その時はまた強制的にやり直させられるのでしょう。少なくとも、私の信ずる宗教ではそうなっています。うまく行くと、浄土に呼んで貰えるかもしれませんが、少なくとも、それこそ死んでからのお楽しみで。

 ならば精々、馬鹿は馬鹿なり足掻いてみようと思います。
 いろんな人を傷つけながら、いろんな事で傷つきながら。

 ……やっぱ、はた迷惑だな(笑