結局自分は何を知りたかったのだろうと自問する。

 私が生物学を志したのは、もう何回か書いたようにも思うのですが幼稚園の頃、一乗谷滝にあった釣堀で釣った虹鱒を我が父が次から次へと三枚におろし食材にしていくのを見ていたからで、技術系に興味を持ったのはやはり父が日曜日帰って来るのを待ちながら見ていた『知られざる世界』*1や毎日NHK教育なんぞを見て過ごしていたからではないかと。『おかあさんといっしょ』より『小6理科』とか、『高校化学』とかの方が面白かったのを今でも覚えています。あとはあれ、『ミクロの決死圏』や『COSMOS』。あれで科学全般に興味が伝播していったんだと思います。で、福井郷土科学博物館の展示。現在福井市立自然史博物館となったそこは昔ただ標本がずらっと並んでいるだけの場所で、お世辞にも子ども向けの場所ではなかったように思うのですが、ただ、『ムラサキイガイ』の標本に、『ムラサキイガイはコバルト60を取り込んでも死ぬ事はありません。このしくみがわかればノーベル賞!』という解説があって、別にそんなものに興味があったわけではないのですが、ただひたすら不思議だなと。

まずなにより生き物がいると言う事。そして自分が生きていると言う事。それから生き物は皆死ぬと言う事。後生き物は社会を作ると言う事。

多細胞生物というのは何故生まれてきたのか?何故肝臓は肝臓として存在し続けるのか?*2白血球は何を思って死んでいくのか?生体内に存在する幾多の細胞の死。それでも私は生きている訳で。

また、不思議でしょうがなかったのが会社。私の父は職人でしたのでしくみが良くわからないものだったのですが、『同い年の人を5人も雇ってしまったら、その人たちが50・60になった時会社はその人たちをどうするんだろうか?』とか。会社員の最終目標が社長になる事だったとしたら、そのゴールにたどり着けるのは一人で、残った4人は要らない訳で。最も、これについて日本経済は『中高年の大リストラ』を持って答えたのを見ましたので今となってはどうでも良いのですが。

あと、自体を複雑にしたのは私が幼稚園と高校で『仏教』に触れた事。元々家は神様や仏様は敬うものだと教える家だったのですが、それでもああいう時期に仏教を習ったのはちょっと日本人の王道から外れてしまったような気も。また、その入った高校で『兵法』好きな先輩にめぐり合ってしまった事も。お陰で私の高校3年間は『兵書研究』で潰れてしまったような気も。その割りにあんまり覚えていないのはご愛嬌。軍事モノは父親が元陸自だったというのもあって、子どもの頃から親しんでいたのですが。


『就職』を考えて大学を選ぶのであれば、あそこには行っていなかっただろうなぁ、と。やりたかった講座もそこにはなかったのですが、お陰で自主制作やそれを目指す仲間、少なくとも一生付き合うような友達が持てた事は誇りで。ただ、まぁ、研究室でスラント培地や無菌操作なんかをやっているのは楽しくてしょうがなかったには間違いなく。


 で、現在。PC関係の訓練を受けながら思うことは自分は何がしたいんだろうという事で。
商売ってのも悪くはないし、過去やってた塾の募集係も嫌いではなかったんですよね、実は。むしろ好き。子どもの夢や将来の目標を聞くのは楽しかったですし、その実現にひょっとしたら自分が一助になれるかも知れないと言うのは喜び以外の何物でもなく。
 ただ、やっぱり食べ物屋というのはそれこそ幼い頃から背中を見てきましたし、何より食べる事は好きで、手が追いつかないほどの料理の知識は持っています。技術はまったくないですけどね。

 ただ、やはり生物ってものにかかわった仕事をしたいというのも事実で。だとすると、もう農業が一番なんだろうな、とは思うのですが、資本も根性もない。

 友人とか、ネットで知り合った諸氏を見回すと何故か私独りおいてけぼりになっている様なきもして。すくなくとも、私も某大動研の一員でございと胸が張れるほどの何かをしたいと思うのですが、それはそれであれかな、とも。


 結局私は何がしたいんだろう、何が知りたいんだろうと自問する今日この頃です。

*1:トヨタ提供の科学ドキュメンタリー番組

*2:最も私の肝臓は半分が脂肪細胞になってしまっているのですが