ロール・プレー

 先日、ある人と話をしていてふと『ロープレ』という単語を使った瞬間相手が不思議そうな顔をした。そして数秒間をおいてその人は『ロープレって何?』と言った。私は『ロールプレイングの事ですよ』と答えたが相手はやはり不思議そうな顔をして『ロールプレイングってあのドラクエとかだろう?何で今そんな話をするんだ』と返してきた。

 案外、使われて無い言葉なんだなとそのとき初めて思った。

 営業経験がある人間ならば……いや、ちょっとどこかの研修に出された事がある人ならばみんな知っているものだと思っていたのだけれどもそれはどうも思い違いの様だった。

 ロールプレイングゲームは確かに今はコンピュータゲームで有名になってはいるが、私達の世代でこっち側にいた人間ならば思い出に残っているRPGはむしろテーブルトークRPGの方ではないかと思う。*1D&D』や『T&T』、『クトゥルーの呼び声』に『ソード・オブ・ブリンガー』、国産TRPGといえばやはり『ソードワールドRPG』が筆頭なのだろう。『これでもくらえ!』とか『今日も元気にSANチェック』、『スパーク君てば不幸!』(最後違う)という台詞に聞き覚えがあるのではないかと思う。


 んで、これらはつまり各プレイヤーがそれぞれの役割……例えば前衛の剣士や魔法使い、時にはモンスター側総て……を演じて遊ぶもので、それぞれが役割を真剣に演じなければ面白くなかったと思う。


 で、実社会。研修や営業の現場ではしばしばロープレというものが行われている。これは例えば同じ社員がお客側と営業マンに分かれて商品プレーの訓練やクロージングテクニックの向上に有用な訓練方法として行われている。私が飛び込み営業をやっていた頃は一日の半分はロープレで毎日毎日様々な想定を繰り返して商品プレーや営業テクニックを磨く為にやったものだった。時にそれは別の道具にも使われたりもしたのだが、まぁ、基本的には訓練の為、互いが真剣にそれぞれの役を演じて見せたものだった。

 確かに、テレは入る。ただ、ロープレでやれないものが現実でやれるかといえばそれは甚だ不思議ではあった。また、そこに参加するものは真剣にそれに当たらなければやるだけ無駄。やる気が無ければ本でも読んでいた方が数倍ましと言うものだ。


 そんな経験もあり、ルート営業になった時私はやはりロープレをする時真剣に役割を演じた。ただ、そこで求められていたのはシャンシャンで終わるロープレであって、誰もがそんなものは現実にはありえない、現実に応用できないものを仮定としてやっているんだという空気があった。ならば、現実に即したものをやればいい。ただ、そう主張すると、そんな時間はないのだと言われた。ならば端からロープレなんぞする必要は無いでしょうと言うと、そんな訳にも行かないとも言われた。私は何がなんだか良くわからなくなった。


 ロープレは時に問題解決の為の道具としても使われる。『相手の身になって考えてみる』という事は、つまり相手を演じている事で、相手の考え方をして見て、そこに自分がどう当たるべきか、そんな事を試してみる手段ともなる。こうなるとシミュレーションと境目が消えて無くなるようにも思えるが、シミュレーション……この場合はむしろ机上演習の様なものも一応ロープレの一種だと考えてもいいのだろう。


 どちらにせよ、役割を得たものはその役割を演じなければならない。演じるには、やはりその役割について知らなければならないし、知識や経験が不足しているのであればそこは調べたり、想像力で補わなければならない。逆に言えば、相手の気持ちを考える事で、ある人がある状況に置かれた時、その心情を自分の中で想像し、もし支援すべき相手であればそれを行う、また、それがお客さんであれば自分が優位な方向……つまりはモノを買ってくれる様に仕向ける……ということはお客さんの為になることは何かと考える手段となる訳である。

 良くネットでは『空気嫁』という単語が出るが、これはつまり文章読解力が不足し、現在の情勢について的確な判断が下せないという相手に対し使われる言葉であろう。そこで不足しているのはやはり想像力だと思う。


 取り留めの無い話になってしまったが、やはり想像力は大事だと思うし、真剣に考える事は大事だと思う。ふと思う事がある。彼らは何か真剣にやった事があるのかな、と。いや、自分が何か真剣にやった事は?とも思うのだけれども、まぁ。

 この三ヶ月、なんだかそんな事ばかりを考えている。

*1:いや、ファルコムだ、T&Eソフトだという節もあるかと思うのだけれども今回は話の流れ上そうさせて欲しいと思う。私も『Y’s』や『ハイドライド』は大好きだ