『楽しむ』という事

 なんにせよ、楽しんだ方が勝ちだ。いろんな本をよんでもたいていそう書いてある。

 結婚前、相方と食事に行くと……とは言っても近所のうどん屋さんだったりするんだけれども、彼女は『食後にそばあべかわとか楽しんじゃだめかな?』などと言っていた。当時の私は、今もそうなのだけれども食事を『楽しむ』という概念が無かった。今を持ってもそんなものを持ち合わせているのか疑問なのだけれども、板前と美容師の息子として育った僕は食事というよりむしろ『補給』と言う概念で物を食べてきたような気がする。いや、これは決して口に入れば何でもいいと言う訳ではないのだけれども、とにかく早く食べろという環境下で育ってきた。
 だから、食事を『楽しむ』と言う彼女が少し別の世界〜気取った風に見えた。それが感情的に良いベクトルに働いていた覚えは無い。むしろ彼女の評価を下げていたように思う。ただし、一つだけは確実に思っていた事があった。それは彼女が食事を楽しんでいると言う事だった。私はそれはうまいものが食べられれば何でも良かったのだけれども、楽しむと言う概念は無かった。酒も飲まない/呑む相手もいないしせいぜいミルクティの入れ方にはこだわった程度かと。

 前職では配送配置を楽しんだ。配送と言う仕事は決められた時間(相手が要求する時間)までに荷物を届ける仕事だ。私が特に楽しんだのは緊急配送だった。至急で持ってきて欲しいというお客さんの要求に一体どれだけ対応できるか?会社はほぼ鯖江にあったので、坂井郡などに行くには他の会社より20分はハンデがあった。それをいかに克服するのか?ここに頭を使う。はっきり思う。私はその過程を楽しみ、だからこそ土曜や日曜に発生する緊急配送要員の当番をその能力向上のために志願して人より多くやった。もちろんそこには微々たる手当て*1ほしさがあったのは否めないが、少なくともあの頃私は仕事を楽しんでいたと思う。

 ダイナー系の店で居酒屋のお通しに相当する料理を『アミューズ』というらしい。これを訳すると『楽しみ』だろう。今日のお楽しみとか、そう言う意味だ。なんとも軽やかな言葉だと思う。
 外食をしようと思う人は大抵食事を『楽しみ』に来ているのだと思う。これは学生時代から思っていた。補給であればコンビニ弁当でいいのだ。ただ、それも連日だと飽きる。だから人はファミレスに行く。そこに驚きなんてものはないんだろうけれども、少なくとも非日常は存在するのだと思う。
 外食とはすなわちお祭りだと思う。それは非日常だと思う。『今晩は外食に行こう』と言うのは私が子どもの頃確かにお祭りだった。それがいつの間にか日常になっていた。だから、私は店をやるなら楽しんでもらえる店をやりたいと思う。癒しとか、そんなのは解らない。ただ、少なくとも来てくれた人に一つはびっくりしてもらえるような店にしたいと思う。今漠然と思っているのはそんな所だ。

*1:大手の約半分だと聞かされて泣きたくなったものだが