明日はお休み、明後日研修。

 昨夜は猛烈に眠かったので久しぶりに日付けが変わる前に眠った。目が覚めたのは5時ちょい前でまだ朝刊も来ていなかった。
 今日は勤労感謝の日だったのだが、勤労していない身としては申し訳ないやら情けないやら、そんな気分でPCの前に座った。メールをチェックしネットを巡回。米を炊いで炊飯器にセット。それから水を飲み飲みネトゲをはじめた。7時ごろ、相方も起き出して来たのだけれども、カロリーメイトを齧っていたので朝ごはんに炊いたご飯はそのまま順延となった。自分も買い置きのカロリーメイトを齧ってしばらくぼんやり朝刊を眺めていたのだけれども、急に眠くなってしまったので床に就いた。

 チャイムが鳴る。時計を見ると10時だった。1時間ぐらい寝たのかな?と思いながら玄関に急ぎ、ドアをあけると郵便配達員さんが帰ろうとしている所だった。『はい?』と声をかけると『速達が来てました』との事で封筒を一通下さった。雇用開発機構の灰色の封筒。はて?なんだろうと封を切るといつも出ている創業セミナーが人工衛星の不調で明日の分が中止となるとの内容だった。ありがたいやら申し訳ないやら、封筒を押し頂いてまたPCの前に座り、メールをチェックしながら本を読んだ。今読んでいるのは『聞き書福井の食事』という本で、農漁協が昭和の年間に出したもので親方の蔵書から金曜日にはじまる加工食品の開発研修に向けて参考にしようと借りたものだった。カバーはヤニと埃で汚れていた。内容は北陸の冬空を思い浮かばせる様なもので、いかに福井県民が敬虔な仏教徒であり質素を旨としたかを書き綴ったようなものである。最も、今読んでいるのは越前海岸であるから、これが木の芽峠を越えればもう少しは他県に誇れるようなものがあるのではないかと期待しながら読んでいる。少なくとも、越前で誇れるものはカニと笹カレイ位のものの様だ。

 このひと月、親方に同行しているのでその車中色々な事を聞かされる。例えば『ぼてさん』と呼ばれる浜から魚を背負って里へ魚を売りに来る人々の話や今でも細々と存在する『川漁師』の話、まだ橋がなく渡し舟があったと言う川辺、町を守る為に大雨が降ると里は橋を落とし堤防を切ったなど。
 福井市郡部には里ごとに魚屋……より正確には仕出し屋が一軒か二軒あるのだけれども、ある地域にはそれが無い。なぜだろうと言う話になり、その結論はそこには浜からぼてさんが魚を供給していたからだとか、川漁師が魚を獲って里を支えていたからだと言う結論に達した。ならば、その辺りの里の人々は舌が肥えていて偽物の魚〜イズミダイなどは多分受け付けないだろうと言う。この間ブリモドキ*1という魚の刺身と煮付けを貰ったのだが、なんだかよくわからない味だった。つまりはそう言う事なのだろう。

 昼は冷凍ギョーザだった。食後、昨日の風呂の残り湯で洗濯を片付け、少し本を読んだ所で実家に顔を出す事とした。しばらく祖母にも会っていなかったので祖母の家にも顔を出し、灯油ももう無かったのでポリ缶を二つ持ち、久しぶりに車を出した。
 祖母は随分耳が遠くなったようだった。祖父の写真に参り、話をする。昔何食べてた?と聞くと芋の煮たのに菜っ葉の煮たの、大根の煮たのだったとの事。本通りの回答だった。少しだけ途方に暮れたりもしたが、気を取り直して実家へと向かった。実家の方は今日は母の郷が白菜を取りに来いと言って来たとの事でちょうどそこから帰ったばかりだと言う。手ぶらと言う訳にも行かなかったのだろう。どうやら肉屋で鶏を買って持って行ったとの事で、家にも2kgほど持って帰ってきていた。スジも煮ていた。『こんちは来ました』と挨拶し、スジを少し貰った。下茹でし脂を取って煮込み始めたばかりとの事でまだ味がしみておらず、芥子を付けてつまんだ。臭みはなく、芥子の風味がちょうどよかった。まだ惣菜とはいかないが、あてにはなるだろう。そんな味だった。
 TVでは千葉の風景が流れていた。簡単に損益分岐点の算出書を見せられた。一言二言話をし、今日の仕事はそれだけだった。
 日も暮れて、白菜1玉とネギ2本、大根が2本に鶏モモを3枚貰った。灯油は36Lだったので運ぶのに難儀した。今年の冬はハウス野菜は高くなるだろうな、と伝票を見て思った。

 昨日も鶏カラだったが相方は特に文句も無かった。ありがたい事だった。胃が少しもたれた。胃薬は最後の一包だった。

*1:私が見せられたものは既に切り身になっていてその姿は見ていない。何でもブリよりも細長くて〜と言う話だったが、シイラ似た魚なんじゃないかと言う話にもなった。脂の見目はサバにも似ていると言うのだから一体何科に属する魚なのだろうと考えたのだけれども見当がつかない。