球体関節人形とか

 人形は、私子供の頃怖くて仕方なかったんですが、なんとなく大学生の頃から好きになりまして、『Katan-Doll』とか、CD−ROM写真集をCD−ROMも持ってないのに買ってたりしてたんです。
 で、写真としては好きだったんですが実物を見たことがなかった。いや、今も見たことないんですが、ボークスや夜詩さん所を見ててなんとなく浸ってみたり。一体欲しいんですがね。本代で精一杯の我が家計では無理みたい。いや、本代ってのもひどい話なのですが。

 で、昨晩ある方とお話させてもらってて人形の話になって、ふと思ったのが『アンドロイドは人間そのものとして作られる事になるか?』という事で。アンドロイドを作るという事は、つまり人間を模倣する、人間を作るのではなくて、アンドロイドを作る事だとすれば、それはすなわち人間を作るわけではないので寸分違わず人間とおなじものを作るわけではなく、私らがアンドロイドをアンドロイドとして思い浮かべるようなそれとして作られるんではないかなぁ、と。
 で、気がつく。それってもうToHeartでやってますやん、と。
 結局アレです。大抵みんな一度は考えるって奴ですね。

 よくSF作家が『予言した』と言われますが、やっぱりあれは嘘なんでしょうね。あさりよしとおさんも『まんがサイエンス』の中で言っておられましたが、SFを読んだ子どもが、それを現実のものにしようと努力した結果、それに良く似たものが生み出されてくる。手塚治虫さんは携帯電話を予言したと一時期囃し立てられましたが、あれはトランシーバー+電話だった訳で。これとはちょっと違うな。
 まぁ、アイデアってのは結構出るもんですが、それが現実に実用化されるにはえらい努力と金がかかったり。携帯電話の登場期にバブルがなかったらここまで広がったのかなぁ、とふと思っても見たり。いや、これは広まるして広まった感じですが。