使い捨てられる命、という事

 例えば、酵母。酒造りには必要不可欠ですが作った後は殺される運命。
 家畜とか。『Live Stock』ってのはそれなりに衝撃的な単語だなぁ、と。いや、家畜って字面も十分そうなんですが、ストックって……。
 あと、あの子。あの子自身は使い捨てられてしまったんだと思えるのです。あーと、むしろあいつもそうか。その次に続く誰かは幸せになれるのだからいいのか?でもあの子はどうなのか?
 
 使い捨てられるというのは、ある意味幸せな生き方なのかもしれません。
 でも、それは残酷な生き方なのかもしれません。

 私は中学時代、いじめられっ子でもいじめっ子でもなかったんですが、そんな私を父親はバカだと。どちらの気持ちも知れないのはバカだと評しました。
 確かにバカなのだろうなぁ、と。でも、この立場ってのもそれなりに評価されるべきではないかと考えたんですが、それはまぁ、あれかな、と。

 使い捨てられるのは、確かにうらやましく感じる事があります。なにしろ、そうするだけの何かにめぐり合えたという事でしょうから、それはそれで幸福だと思うのです。
 今私の手元にあるのは生き続けなければならない理由ですが、それはそれで幸福なのかも知れません。よくわかんないな。