立場の違いというもの

 『大きな物語』って単語は東浩紀大塚英志か?どっちにしても評論というのは読みにくいものなのです。読まなきゃ、と買っておいてついぞや山の下に。そしてそのまま嫁の小言の種に。
 彼らの立場は、私らの立場ではないんですし、その逆も同じ。だから私らを彼らの立場から評されるのは聞いていて楽しくは無い。いや、そう見えるんね、と素直に聞くことの大切さなら知ってるんだけれども、だからってそれを飯の種にされてもってのが正直な所で。
 例えば、中学における職業教育。教育を行なうのは学校の先生な訳で、彼らには板場や倉庫番の気持ちなどわかるはずも無いのです。で、彼らは大学に行けという。それは彼らの持つ成功経験から生まれているものな訳で、実社会の要求ではないのです。大学出の板前なんて、イジメにあうか奇異の目で見られるか。それが東大卒ならばNHKあたりが取材に来るかもしれませんが、三流私立大ではむしろ同情の目で見られるかも。
 あー、変な話になってるなぁ。いかんいかん。でも行ってしまえ。
 世の中は、結局は稼げたもん勝ちの筈。だから、学歴がどうのこうのよりも実力主義なんですよ。確かに、一流企業と呼ばれる所に入るには高学歴が必要ですが、まぁ、一流企業に入ったところで高収入が得られるかというのはご覧の通り。ただ、そういう成功経験が今のシステムを維持しているわけだからそれはそれで仕方ないのです。昔、どこかのニュースで数学オリンピックか何かで金メダルをとった高校生が将来の夢という問に答えて『医者になるのもいいし、キャリア官僚を目指すのもアリだと思う。可能性を試してみたい』と。苦笑いしか浮かびませんでした、誰か、もっとちゃんと世の中教えてやれよ、と。えらい陳腐なゆめだなぁ、と。まだ、世の中そういうものなのかもしれませんがね。僻みかな?そうかな?
 
 話は変わって国際社会。我が国の常識は国際社会の非常識というのはよく聞かされたことで、タイで子どもの頭を左手で撫でて袋叩きにあった話とか。オイオイ、という気分ですが。
 ふと目に付いた立て看板。『自分から 先に謝る 勇気持て』。国際化は成し得ませんね。最も、そんな国際化なら成さん方がずっと気分はいいのですが。我が国はその方針で今まさに袋叩きです。
 ですから、彼らの失敗を笑える立場には無いのですが、しかし、あそこまで行くと微笑ましいなぁ、と。我が国は生物化学兵器条約における監視対象国だったはず。理由は、そういうものを開発してあまつさえ使用した集団があるから、なのですが。ちなみに彼らのおかげで我が国もAK47をコピーした国の一つに上げられているそうで。容赦無しです、国際社会。ですが、それは我が国が我が国として責任を持つ必要があるんですよね。そしてそれは我が国も認めている。どこぞのように、『知らなかった』『勝手にやった』とは言わなかったと思うのです。
 国民は国家です。国民の犯罪は国家が責任を負うのは仕方が無いのです。それが国際間なら、なおの事だと思うのですよ。そうは思わない人、多いですがね。国家は国家、俺は俺。オレオレ詐欺。感感俺俺。古いか。ジャイアニズム日本。賠償しる。その賠償金も税金ですがね。