地動説、天動説

 夜詩さんのところhttp://www1.neweb.ne.jp/wb/yauta/write/write.htmを見ていてさらにドン。http://pluto.szero.net/html/docs/archives/2004/200410_index.html#000440
 
 進化論が誤りだという人が時々いるんですが、しかも見回ってみるとかなり高圧的に進化論を否定している人がいるんですが、なんだかなぁ、と。
 進化論ってのは様々な切り口があって、例えば地球上に現在存在する生命の起源を求める物から、その種が増えていく仕組みを解明しようとする物、そもそもなぜ変化していくのかという点を解き明かそうとするもの、そしてそれに意味があるのか、または目標があるのかと言うことを考えるというものがある訳で、それらを十葉一絡げにして論ずる事自体がもうすでに本末転倒であると言えましょう。
 例えば、ダーウィン進化論は種が増えていく仕組みを解き明かそうとした論だと思うんですよ。木村資生の中立進化説もそうですよね。中原英臣のウィルス進化論も同じ。でも、ドーキンズの利己的遺伝子論は違いますよね?でもこれは一応進化論の範疇として語られんですよ。今西進化論も進化論ですが、これは生物種が棲み分ける方向で進化していくって言う話ですからダーウィン進化論に対立しますが、意味が違う。
 で、ここからが問題。メンデルの書いた『種の起源』は後に優生学と言う物を生み出し、そのおかげで数々の差別を生み出しました。これは何も科学云々だけではなく、例えばキリスト教下のヨーロッパ列強は白人こそが神に祝福された本当の人間であり、有色人種はその亜種で人権など無いという考え方が発生しましたから、なにもメンデルだけが悪いわけではないのです。ですがまぁ、キリストを否定するのは気が引けるのか、メンデルだけをスケープゴートにして喜んでいる人たちもいます。いや、それは一種の言論統制だから私も彼の人たちを否定するに躊躇しないんですがね。
 つまりはあれです。純粋な自然科学的理論を人文・社会学的理論の背景に持ち込む、もしくはそれと同列に論じようとする態度は少なくとも教養のある人が行う態度ではないのではないかと思うのです。
 
 閑話休題。 
 人間中心の社会を考えた場合、地動説は正しいと言って構わないでしょう。どうしたって我々はまだ地球の上から離れる事は出来ないのですし、そうである以上地動説をとってもなんら支障は無いとは思うのですよ。
 ただ、天動説を用いた場合惑星の運行を予測することは出来なくなる筈です。
 と言うのは、『惑星』と言う単語が示すように他の星々が綺麗な円運動を取るのに対して惑星はその中をウロチョロと不正規に運動します。それこそ惑うように。天動説においてもこのあたりは説明方法を持っていたらしいんですが、どうもそれは精度に欠けた。だからこそ、地動説が生み出されてくる(復古される)訳なのですが、まぁ。
 私は子供の頃、それこそ物心の付く以前からNHKの教育テレビの理科だけを選んでみている子どもだったそうで、日曜日などは父親の帰りを待ちながら日テレ系の『知られざる世界』という科学ドキュメンタリーを見て育ちました。だから、素直に空を眺めて地動説を思う前に天動説が頭の中にあったんだろうと思うのです。でなきゃロケットも上がんないし。それに丁度グランドクロスなんて話もあった頃でしたし、あれは地動説で無いと話にならないお話で。見ていたアニメは宇宙戦艦ヤマトでしたし、おかげで右傾な大人に育ちましたが冥王星会戦とか。