小学生誘拐殺人

 被害者の女の子のご冥福をまずはお祈りして。

 変質者って言葉でヒトククリにしていいものか。 
 例えば、いたずら目的の犯行と殺害目的の犯行があるんじゃないかと。いたずら目的の犯行であれば少女はこんなに早く殺される事はなかったんだろうと思うんですし、そもそも殺されなかったでしょうし。どうも今回は殺害する事そのものを目的にした犯行だと思うんです。
 だとすると、犯人は18歳〜35歳ぐらいの間じゃないかと思うんです。白い車を運転していたのが本人だったら、ですが。もしそれが協力者だったらその下限年齢は10歳まで下げてやらなきゃ並んでしょう。
 なぜ35歳か。多分私らの世代一つ上くらいからだと思うからです。
 つまりは安保闘争をやった世代に育てられた子供じゃないかと思うんですよ。もしくはお爺ちゃんお婆ちゃんが周りに存在せずに育った世代。核家族化したあとの世代。
 道徳とか倫理とか、そういったものは昔は自然と身についたものなんでしょう。なぜならそれは、その社会の中で身につけなければそこで生きていけないものだったからです。で、そのころの社会と言うものは、一つの村だったり町だったり。最小単位である家族だって3人4人と言うことはなかったはずです。世代にしても3世代はあったでしょうし。爺ちゃん婆ちゃんがいればそこには神仏への恐れってもんが存在しますし、神々と共にある訳でありますから、日本古来からあった宗教的素地が子供らにも受け継がれる。御飯粒一つ無駄にしてはなんないよ。御飯粒の中には八十八の仏様がおられるのだから。学校にしてもそこで教えられた道徳と言うのは朱子学と言うか、道教というか。そういったものがスジにあったものだったと思うんです。
 安保闘争。結局あれも根本には彼らの否定した封建的思想が流れていたはずなんです。
 表面上走ってるのは共産主義というソフトウェア。でもその下に動いてるのは上を敬い下を愛しむと言う修身OSだったんじゃないかと思うんです。60年代に大学生だったと言う事は、そのこと自体が坊ちゃん育ちだともいえるんですが、むしろブルジョワ側の人間じゃないか、お前らという気分なんですが、彼らが受けた教育は戦前の影響を大きく受けていたはずなんです。で、70年代も同じ。80年代になるともうその影響も薄まり始めむしろそれを否定する勢力が登場しだす。で、現代は戦前は完全否定の上で60年代を戦った人らが頂点に立ち自分らがなしえなかった理想を子供たちに刷り込むわけですな。ただし、その時点の子供たちは自由OSで走ってますから教師の言う事なぞ聞かないんですよ。聞く子もいるでしょうが、それはその集団の中では異端者として扱われるんじゃないかと思うのです。で、その子は迫害される為にさらに教師に擦り寄っていくんですな。それが大人になると、そういう集団の構成員になってさらにその指導者に擦り寄る。で、周囲からみるとそれはやっぱり異端と言う事になる。でも、彼らはそれに気がつかない。当たり前です。彼らの存在意義は自分たちが異端であること、つまりは自分たちだけが正しくて間違っている周囲を変えていかなければならない使命を背負っているのだと言う事なのですから、攻撃されれば攻撃されるほど彼らは燃えていくのです。荒らしは放置が基本です。燃料などくれてやる事は無いのです。法を違憲だと騒ぎ立て、彼らの違法を取り締まろうとするとそれは内心の自由への迫害だ、権力の横暴だと言う。なんでもかんでも主義主張に結びつける事はなかろう。勤務時間内は働け、駐車禁止地区で街宣車を止めて演説をぶるな。子供たちは自分の都合のいいように法は曲げて構わないんだというところだけを学んで好き勝手をはじめるのですよ?それが教育者のすることなのですかね?

 横道にそれて脱線して、その上で果てしなく走ってしまいました。今日はこの辺で。


 最後になりましたが、繰り返して。ご本ありがとうございました。このご恩は後ほど何かの形でぜひ仕返しさせていただきます。……いや、お返し。