運転免許センターでボンヤリとポスターを見上げる

 今日、念願だった嫁の免許更新に行ってきました。
 人ごみ恐怖症の彼女にしてみればそれは大冒険だったのでしょうが、それに付き添った私はボンヤリ待機所で警察の手配書を眺めていたり。自販機のお茶は20円であると言う事実。感激に打ちひしがれては見たもののマンゴー・オレの方が魅力的で。啜りながら、あの独特の香りを楽しみました。あー、これ香りの付いた砂糖水だ。どうせ世の中そんなもんだ。私はその香りに100円払ったんですから。別に何の感慨も無く、ずずずずず、と。
 ポケットの中にはちょうど読みかけの『僕って何』があってペラペラめくりながら。手配書はまさにその登場人物なのですが。
 結局、学生運動にしても、オウムにしても。一部高等教育を受けた人間がその激昂に身を任せただけだろう、と。残念ながら私たちの世代はその反省から何も考えず、何にも関心を持たず、何もせず、という三ナイ主義を叩き込まれました。その反動は人間関係を構築できない、とか、上下に対する礼節を失う、とかそういった副作用も発生させましたが、世の中が混乱するよりゃいいってことだったのでしょう。あー、中には集団で女の子をどうこうするって方向に走った馬鹿どももいたな。文系は女に走り、理系はオタクに走る。どちらも卑下されるべき事柄だったんだと思うんですがね。なぜ我々だけこう辛く当たられるものか?

 昔から不思議に思っていたことに、団塊の世代の事があって。
 一つの会社に社長さんは一人。ですから同期が数十人いた場合その中から社長になれるのは一人。で、その残った数十人はやっぱり会社にあって、それなりの給料をもらえなければならないし、それなりの地位にもつけてあげなきゃあとから入ってきたものが困る。どうするのだろう?と。

 私は陰謀論者は大っ嫌いなのです。誰かが描いた陰謀なんぞでこの世の中が動いているのだとしたら、もうちょっとスッキリした社会になってるんじゃないかと思うのです。

 でも、バブルがはじけて中高年を一気にリストラしたってのは何か陰謀めいてはいないかと。
 団塊の世代問題を解消するには言いネタでしたし、おまけに業績不振を盾に団塊の世代ジュニアを雇用しなくても済む。

 絵を描いたのは、すべて学生運動をやってた世代の人たちですよね?
 
 そんなことを思いながら、今日は一日過ごしました。