露天風呂につかりながら

 最近は銭湯でも露天風呂があって、それはそれで気分がいいのですが。ここの主浴場はちょっと高さが私には中途半端で、温まるためには露天風呂に行くのが一番具合がよく、雨が降っていようが雪が降っていようが、ここでは露天に浸かります。
 空を見上げても、湯気の向こうには星など見えず。冬型が弱まったといえども日本海側。裏日本の冬晴れなどは……ちょっと不穏当な比喩が思い浮かんだのでやめておきます。これ以上書くとえらい事になりそうで。いや、晴れ間が嫌いなのではないのですが、晴れ間がない分、お陽様が見えるとそれはありがたいことで……いや、どつぼにはまりそう。ともかく、それはソードワールドRPGで逃げるボスキャラにシャーマンがスネアを唱えて6ゾロを出すようなもんで。滅多に無い事なのです。
 小学生の頃の冬休みの友。中学生の頃の冬休みの課題。冬の大三角形を観測しろという項目があったのは不思議でしょうがなかったのです。見上げたって、雪。周りも雪。なぜ晴れ間など無い冬に天体観測などさせようと思ったのか?そんなもん、2週間の休みのうち1日あればいいほうでした。ただ、宇都宮に行ったらよくわかりましたが。あ、文部省は太平洋側にあるからなのね、と。
 地方分権は推し進めるべし、と心の底から思ったものです。
 
 話は変わり、昔この銭湯には先輩と一緒に仕事帰りによく来ていたのを思い出して。その方は他県から単身で来られていて、課長から平社員に降格されて、飛ばされて、それでも頑張っておられたのですが、その方も数度にわたる配置転換と何度もあったリストラで終にはお辞めになったと聞かされて。と、同時にたくさんのお世話になった方々……リストラで会社が切り捨てた方々のお顔が浮かんで。ちょっとボーっとしてしまいました。
 多分、悔しかったのでしょう。それを見ていて、自分のいる場所も日々変わって、底では自分たちがまるで意味の無い人間であるように扱われ、先輩は肩を叩かれ、仕舞いには部門を切り売りされて。何も出来ず、何の技術も身についていない自分。『助けてやる』という言葉で動員された営業では、1年前に半年に渡る研修を終えて自分の旧担当先を自分より器用に廻している後輩が目の前にいて。私、研修は1日半。営業研修は2週間でした。それでも4年は現場にいたのです。それなりに成績も上げながら。まったく、なんだったのかなぁ、と。この8年、私に意味はあったのかなぁ、とあの時思って見てました。あの虚脱感。それでも上長は彼の指導を私にも命じてきます。何を教えろというんです?営業は数字でしょう。彼は立派に数字を上げています。一方、私は成績も上げられず、何を指導せよ、と?

 一番最初の会社を辞めたのは、週毎に変わる配置、毎日変わる業務、時には他県へ日帰り応援に出されたりする中、ボロボロになって辞表を出した私を引きとめようと説得してきた社長が自分たちの仕事を『こんなしょぼい仕事だけど』と言ったのに腹が立ったからでしたし。そもそも、他県に応援に行かなきゃならなくなった理由は理不尽な理由で社長がそこに居た社員の首を切ったから、だったのですが。それで辞表を出すに到ったのですが、まさか『おぞい』仕事だとまで言われたら立つ瀬が。私はあの時、弁当屋こそ自分の天職と思って……思い込んで働いていたのです。
 それをああ言われちゃあねぇ。

 二番目に辞めた会社は1月に入社し、同期が一人首を切られ、4月に入社してきた新人を、3人のうちの一人、募集に向いていない子を6月に主任になったばかりの先輩から『いびって追い出せ』と言われ、それに反論したのがきっかけで絵を描かれてしまい、結局その子も護ってやれず、ついぞや8月には居るに居られなくなり、半泣きで引き止めてくれた後輩を騙して辞めて行かざるを得なかったのを思い出し。あの頃は、悔しくて悔しくてしょうがなくて。自分が集めてきた子達や親御さんには申し訳なくて申し訳なくて。それは今でもあって、ある地区には二度と行けないなという地区があったり。

 で、今回は過労の上うつ病かよと。
 友達運や師匠運には恵まれているのですが、どうも上司運というか、会社運には恵まれていないような気が。いや、自分が弱いだけなのですが。自分に目がないだけなのですが。

 いなり寿司、リソグラフ、新製品のパンフレット。そんなものが湯気の向こうに見えました。
 抗鬱剤、効いてないんちゃうんか?


 お風呂から出たらいつもだったら牛乳だけどすうどんの一杯も食べていこか、思っていましたがメニューを眺めてとてもそんな気になれず、とっとと銭湯を出ました。


 車に乗り、走り出すと何か食べておかなきゃならないという意識が強くなり、ラーメンでもとも思ったのですが、それよりちゃんとしたものが食べたい、というつもりに。
 ちゃんとしたものってなんだろう?ふとそこに思いが行きます。