詰まる所

 吉岡平の『コスプレ温泉』を読んでいてヤラレタ感があったのは私の目標がそういうものに近いからだと思う。

 現在、なけなしの金で株になんぞ手を出している訳なのだが、これは働けない分『日当を稼がなければならない』という思いと、『あわよくば資金を作ろう』という思いがある。

 この数年間、自分が何をやりたいのかと考えていた所、もちろん文章で喰って行ければと言うのもあるのだけれども、それには自分の力が追いついていないように思える。ではどうすべきか?自分が今出来る事を精一杯やって、そのあと考えようとした。今の会社に入ったのは、ただ単に生きていく為に稼がなければならないと思ったからであって、これが天職だと思ったからではない。もちろん、世の中のどれ程の人間がそんなものにめぐり合っているのかと尋ねられれば、それは人類が10年以内に火星に移り住む程度の確率じゃないかと答える。
 まぁ、無理が祟ってぶっ壊れて思いもかけずにこれで丸々3ヶ月近く休職している訳なのだが、だから改めて自分が何をしたいのかを考える羽目になった。

 その間にも、私が尊敬するある方のお引きでmixiなどに入り、さらにそこで数々の綺羅星の様な人々とめぐり合えた訳なのだけれども、その中で思うことはやはり私には作家という仕事は向いていないのではないか、と言う事であり、また、自分は裏方に徹すべき人間であろうという事だった。

 小学校の時分、私は期せずして児童会長のような役割を与えられる委員会に所属していた。不思議なもので、私の小学校には児童会長と言う人間は存在せず、その代わりその職務を担当する委員会が存在していた。約40人がかりで一人分の仕事をする訳だから楽でいい。
 中学校はまぁ、それなりに。友人が生徒会役員、部活も文化部であった為なにかと雑務をやる羽目になった。高校はもうちょっと派手だったような気もするが、やっていることはあまり変わらなかったような気がする。
 大学に入り、1年の時に文化祭実行委員会へ同好会より出向させられてから、私は某森の木氏やT氏と付き合うようになった。めぐりめぐってはK会長とも出会う訳であるが、あれは私の人生を大きく狂わせるものだったようにも思う。ただ、感謝こそすれ後悔などはしていない。現在は確かにこういう状態であるが、彼らがいてくれるという事実だけで私は少なくとも生きて行けるからだ。

 以前、上京した時に帰ってきた感があったと書いた。それがすなわちそういう事なのである。私の尊敬する、大っ嫌いだった先輩は生前『故郷とは人である』と良く語っていた。確かに、それは間違いないと思う。


 故郷。私が求めているのは詰る所それなのだ。
 最も、私が作ろうとしているのは故郷というよりはシェルターに近い。避難所だ。
 阪神大震災の時、私は移動調理車を整備したケータリング会社を作りたいと思った。もしそれがあれば被災者の元へ温食が提供できる可能性があるからだ。ただ、これは私なんぞがやらなくても自衛隊の方々がやってくれる。自衛隊には野外調理車というのが存在しており、今回の中越地震においてもそれは活躍した。だから、何もそんなものは作らなくてもいいのだろう。第一、平時には需要がない。

 だからという訳ではないが、今の私の夢は宿泊施設を作る事である。ペンションでもいいのかもしれないのだけれども、発想としては料理旅館に近いものである。料理をメインにした宿泊施設。出来れば野菜などは自家栽培したい。やるとしたらきっと山の中なのだろう、などとも夢想する。なぜそれがシェルターなのか?避難所とはつまり宿泊する場所だからだ。

 いや、ただ単に今自分がそう言った所に行きたいだけなのかも知れない。
 ただ、自分がそうしたいと思うのであるならば、そうしたいと思っている人は他にも入るのではないかとも思う。それに、その件についてはこの4〜5年続けてきた新店構想の庵として私も幾度か父親に提案してきた。宿泊を持つと言う事は負担になると言う事で一蹴されたのだが、そんなに悪くも無いのではないかと今でも思っている。

 もし、実現できればいいな、と思う。その為には今の自分には力がない。まるで無い。より正確には何も無い。


 だから、途方にくれてしまうのだけれども。