自衛隊と言う組織

 本屋で石破前長官が書いた『国防』を。京都の鶏インフルエンザ処理で自衛隊を動員した京都府については兼ねてから違和感を持っていたのですが、実際現場の人の悔しさは。穴を掘れ、掘ったら袋に詰めて埋めれ。それは自衛隊法に逸脱しているこういな訳で、災害出動でも、防衛出動でもなくただの単なるコマ使い。何でまぁ、あっちの人は国は嫌いだと言う割には国を最大限活用するのか。嫌いだから気後れしないのですかね。他の県は皆民間業者や職員を総動員して対応した訳で。やはり自衛隊の方々には頭が下がるばかりです。決して感謝されることのない職務。石を投げつけられても、罵倒を浴びせられても黙々と雪像を作る隊員達。なぜすぐさま飛んできてくれなかったのかとすべてが終わってから批判が噴出した阪神大震災日航123便の時も即応待機に入っていた自衛官の皆さんは焦れていたのだと聞きます。一部は訓練名目で部隊を前進させるべきだと言う意見が出たり。ですがそれは俗に言う『過剰運用』となる訳で。それは批判の対象となります。矛盾であってもそれが『シビリアンコントロール』な訳で。
責任はむしろ政府や自治体にあるのにもかかわらず何故自衛隊だけが批判の矢面に立たされるのか。じゃあ文民統制を無視しろと?ルワンダPKO活動中邦人救出に向かった指揮官は飛ばされたとか。私はそれは心情的には許せませんが、法律的には正しいと思います。政府は命令を下すべきだったんですよね。それが仕組みです。仕組みに反したから処罰された。それが法治国家です。私はかの指揮官の捨て身の英断に敬意を表します。そして国や国会の無能を呪います。
 そういえば、石破前長官が国会答弁の中で自衛隊PKOに所持していく小銃の数や無反動砲の数を事細かく説明したのを評して『ヲタク』と評したマスコミがありましたが、ではカンボジアルワンダの時はどうだったんでしょう。小銃は何丁まで、機関銃なんて持っての他だ。いや、持って行くなら1丁だけなら構わないけれど、2丁持ってっちゃ駄目だと言ったのは当時の社会党だった訳で、別に石破前長官が特別な訳ではなかったはず。
 
 軍事など知らなくても感情だけで反対を唱えればいいのだと言う市民活動家。
 自衛隊反対を唱えつつその活用だけはする某政党首長。
 即断が要求される時に決定を出せない政府。
 命令を受けなければ動けない自衛隊

 さて、誰が悪いんでしょ?