足羽川堤防の桜並木を。(mixiより一部改変し転載)

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14時頃新明里橋からスタート。で、桜並木を散策です。平日の午後なのですが、結構ご年配の方々や赤ちゃん連れのお母さん、子ども連れのご家族なんかもいて。河原では宴会をしているグループもちらほら。延々と歩きます。
 空は快晴にはるかに近いそらで。綿菓子を引きちぎったような雲が少しある程度で、気分も良く。こないだ通販で買ったスプリングコートは具合が良くて、風はまだ冷たかったんですが快適。
 新明里橋から花月橋の中ほど、カメラを持ってこなかったのが悔やまれて。『写るんです』を買うにも近所にコンビニ何ぞなく、そういや、九十九橋まで行けば老舗のカメラ屋さんがあったのに気が付いて。そこで『写るんです』というのもどうかとも思ったんですが、まぁ、私は素人ですし。
 で、再び頭上を見上げながら。
 家族連れ、犬の散歩をしている老夫婦、私と同じ様な境遇に見える旦那さん。みんな空を見ています。所々で写真を撮っていれば立ち止まり、お互い笑顔で会釈を交わして歩き始める。結構楽しくて。
 で、九十九橋。南詰には籐雲堂というお菓子屋さんがありまして、実は私が小さかった頃お世話になった料亭もその地区にあったのです。今ではその建物は打ち壊され豪奢な洋館が建っているのですが、それはそれで中々なのですけれども、江戸時代から続いたというその料亭の佇まいを知る者としてはなんとなく味気なくて。で、カメラ屋さんへ。そこはタナベカメラさんと言いまして、我が出身高校の写真部の連中が多大なご迷惑をおかけしたので有名。因みにうちの嫁も常連で、猫の写真を撮ってもらった事も。店頭に『写るんです』が出てまして、その中からISO800の27枚撮りを持って店内へ。居られたのは初老の旦那さんで。『いらっしゃい!写るんです?すぐ使う?』『あ、いえ、……えーと、はい』その威勢のよさになんとなく気押されてシドロモドロ。お金を払い、裸になった写るんですをコートのポケットに滑り込ませ、お伺いした経緯〜写真部の連中と嫁の名を出すと旦那さんも嬉しそうな顔をして下さって。

 で、店の前〜道の向こうにも桜が2本ありまして。それは呉服町の桜なのですが、その奥には福井一の歓楽街である片町が控えていまして、夜桜なんかも綺麗なのです。で、見ると花びらが散っていて。……気が就くと道を渡っていました。
 そこは道と道が交わる三角州のような公園で、小さな噴水とトイレ、それに桜が2本だけの小さな場所で。そういえばこの噴水、動いている所を見たことがありません。遥か昔、まだ幼稚園に通っていた頃動いているのを見たような気もするのですが……今思い出すとただの池だったような気も。で、その水面には無数の花びらが。風が吹くと桜が舞います。実は私は満開の桜よりもこう、散る桜のほうが好きで。気が狂ったように花びらを落とす桜が何とも好きなのです。な訳で、そこで数枚。へたくそですがね。まぁ、うんうん、などと。

 そこからまた、足羽河原に戻っていきます。
 また橋を渡り、ピリケンの前へ。……そういや、ここで昼飯を食うつもりだったんだよな、と不意に。出かけに食べたくるみパンの腹持ちが良く、まぁ、今度にしましょうと。
 ここからはぼんぼりもあって、夜桜見物が出来ます。ちょいちょいと拾い読みすると、『乗って残そう、バス・電車』の文句が。それは福井鉄道のぼんぼりで。頑張れ、福井鉄道。応援よろしく名古屋鉄道福井鉄道名鉄グループです。そういえば京福は社名を変えるべきだと。既に嵐山線しか残ってないのに何が京福電鉄かと。……何こんな穏やかな日に。なんとなく馬鹿らしくなって再び桜を見上げます。
 見上げる桜はかすかに紅い程度で。こういう時の為に桜色という言葉があるんだろうなとは思うのですが、私が想像するそれよりも桜は遥かに白が勝っていた様にも見え。それはきっと空が青いからなんだろうな、と。堤防の下から聞こえる歓声は子ども達の声で、まばらに落ちてくる花びらを空中で捕らえるのに夢中の様で。そういえば、桜の花びらを咥えるシーンがどうこう。うちにはPS2はありませんし、嫁に窘められたばかりですし。
 のんびりとした空気に包まれながら、ただ歩き続けていきます。で、たどり着いたのが幸橋。ここは現在架け替え工事中で色々ややこしいのです。川幅も急激に狭くなっていますし、前回の7月水害の原因はこれなんじゃないかと言う噂も聞かれ。確かに眺めてみるとそんな気もしないでもなく。 *1

 ……本当は、ここまでで折り返すつもりだったのですが、ふと。こうなったら決壊現場まで行って見るかと。

 あの日、水に浸かりながら、あの頃復旧作業に追われながら結局はしっかりと見ることのなかった春日の決壊現場。そこが土盛りの堤防である理由は実はこの桜並木温存の為だという話もあったり。*2そこまで思い立つと何か色々思う所も出てきて。

 ……業、なんでしょうね。

 で、渡った電車通り。木田交差点から田原町区間福武線の電車が車といっしょに路面を走る為この名が。幸橋から少し南に下り、横断歩道を渡ります。このあたりからはほとんど歩いている人はいなくなりました。桜もほとんどないですしね。
 福武線福井市区間は路面を走っているのですが、路面電車としては公認(?)されていないそうなのです。それは何故か?路面電車とは、道路に設けられた線路を小型の電車が走るのに対して、福武線は普通の電車が路面を走っていくからだとか。東京や広島で『路面電車』に乗った時、『あぁ、なるほどな』と思ったのですが、路面電車というには福武線の電車はデカイのです。で、これは全国にも福井ともう一例ぐらいしかないんだとか。(うろ覚え)
 で、ネタはここから。
 元来、幸橋は福武線と車の共用橋なのですが、現在は一時的にそれぞれが分離していて。そして、電車通りから足羽河原へ戻る側道を見ると目線に線路が!これは撮らねば!!撮っとかねば!!!とはいうものの、福武線は1時間に2本ほど。上下線あわせて4本が走っているぐらいで。上手い事来るかなぁ、などと思って少し坂を上ると向こうにヘッドランプが。来た!福武線キター!!基本的に鉄っちゃんなのか?いいえ、乗り物が好きなだけです。
 で、専用橋を渡ってくる電車。思わずパチリ。で、通過していく所を撮ろうと思って立っていたのですが、信号で電車が停止。思わず運転手さんと目が合いました。瞬間お互い目をそらしたり。流石にそこを取るのも気が引けて、堤防に復帰しました。
 で、歩いていくと今度はJRの鉄橋。時計を見ると1508。定刻であればサンダーバードあたりが来る時間帯だなぁ、と。鉄橋をくぐり、駅方向を眺めます。うーん、来ないか。時刻表持って来るべきだったな、と。(既に何か間違えている。
 仕方無しに歩き出すと轟音が。うーわー。サンダーバードだー!先頭車両を見そびれたのと、先頭・貫通・貫通の編成だったので……683系か?とりあえずパチリ。

 そしてたどり着いたのが木田橋。ここを越えると決壊現場です。
 実はここまでも堤防の両側には延々と土嚢が積まれていて、当時を偲ばれたのですが、このあたりにはまだ応急用の巨大な土嚢が準備されていて、わずか50m先の決壊現場もまだ造成中という具合で。木田・春日地区はあの水害で排水の見直し工事も始まっていると言う事ですし、早く何とかなるといいな、と現場を折り返しました。


 で、幸橋まで戻るとまた穏やかな雰囲気で。てくてくと歩いていて、結構歩いたなという気分に。そういえばどれくらい歩いたのか、足羽山から見てみようという気に。
 幸橋と九十九橋の中ほどにあるのは桜橋といいまして、ここを折れると愛宕坂と呼ばれる足羽山の茶屋街に出ます。茶屋街と言っても今はもう料理屋を数件を残すのみで、茶道博物館や橘曙覧資料館(これはクリントン前・アメリカ大統領のお陰)がある程度で。山頂への中腹には市立郷土歴史博物館もあったのですが、これは去年?松平家が寄贈した福井城址裏手に移転しまして、今では駐車場になっていました。

 子どもの頃、登りなれていた山。登山家に言わせれば丘じゃないかという程度の山なのですが、運動不足の身には結構きつく。階段が終わり、坂道になった所で工事もやっていたり。何の工事かと思ってみてみると、これが実は7月水害関連で、大雨で足羽山も所々崩れ、民家に入った土砂を取り除いている様子。アレから9ヶ月、だよなぁ。などと指折ってみたり。美山・池田・一乗の方ではまだまだ復旧していない道なんかもあるんですからそれも仕方ないのかとも。(行政批判ではありません。それだけ甚大だったんだな、と言う事で)

 んで、息も途切れて登りきったところに足羽神社のしだれ桜が。まずは手水で手と顔を洗い、お参りして写真を数点。構図がうまく取れないのでファインダーを覗かずこんな感じかなーとシャッターを。
 写真を撮り終えた所、年老いたご夫婦からシャッターを押してくださいとのお声がかかり。お持ちになっておられたデジカメで一枚。そうか、こんなお年の方でも今はデジカメなんだ、と、思わず感嘆。鳥居をくぐり、もうひと登りです。
 目指していたのは福井市立自然史博物館で、ここの旧館の屋上からは福井市東・西部が見渡せます。南部は新館が邪魔で見えないという笑い話も。
 何とかたどり着き、屋上に上ってみるとカップルが二人っきり。あーうー、気まずい。そういえばここは絶好のデートスポットでもある訳で。ただし、ホルマリンとナフタレンの入り混じった独特の匂いが気にならなければ、なのですが。しばらく陰に隠れて休んでいて、もういいだろうという事で歩いてきた堤防を3枚の写真に撮影。そこで写るんですは弾切れ。巻ききってポケットに。コートを脱いで腕をまくり、しばらく福井市街地を眺めながら涼んでいました。……本当に高いビルってねーよなーと。それは福井震災の後遺症で。阪神大震災まで最大の死者を出した福井震災。人口比では最悪の震災だったんでは無いかと。小学校の頃叩き込まれた話に、父親が物心つく頃まであった余震の話とか。ですから高いビルは崩れる!が合言葉で。だるまや西武が8階、福井県庁も8階。検察庁と税務署の入る春山合同庁舎が11階(?)ですから、大体福井の高層建築はこれぐらいの高さで。あとは済生会病院、福井日赤、県立病院があるくらいでしょうか?各再開発ビルもそんなもんか。京都の、あの清水寺から見た光景に比べればまだ高層建築があるね、と言うていどです。*3で、ふと見えた福井紡績の屋根。ろくな目にあってねーよな、福井。
 いい加減涼み、肝も冷えた所で特別展〜福井県内の絶滅危惧種についての展示を見て。ニホンオオカミオオワシ、イトヨ、桔梗の自生は去年28年ぶりに見つかったんだとか。桔梗はうちの家紋なんですよー。爺さんがどっかで買ってきたって聞いたんですがねー。

 で、山頂を下り、あんまりにも喉が渇いたので自販機(通常価格)でスポーツドリンクを飲んで一息。……お山にまで来て御茶屋さんで何も食べないとなるとばちが当たるんじゃあないかと、味噌おでんとざるそばを食べて元来た道を下山。
 帰り道、カメラ屋さんに写るんですを持ち込み、CDに焼いてもらう事に。『プリントはいいの?』『へたくそなんでいいですー』と。月曜日においでね、と名前も聞かれず。後で嫁に聞いたらそういう店なんだとか。一応名前と電話番号を伝えて帰路へ。
 
 いくらなんでも同じ道を戻るのも芸がないなと三秀プール前の桜並木を見て。こっちの桜のほうが好きなんですよね、実は。そして花月橋へ。どっちに行こうか悩みつつ、結局右岸の堤防道を。左岸が桜並木で、右岸は車道になっているのです。で、ちょっと危ないか、と河原に下りてみると、そこは粘土質の泥が結構べっとりと。こないだの雨で水分を含んだんでしょうが、蓄積したのはあの時だろうな、と思いながら家路へ就きました。

 14時に出て、18時着。1里1時間といいますから12km?ちょっと割り引いて10kmほど歩いたつもりだったんですが、前出のURLの数値からすると6kmほど歩いた程度に。運動不足を痛感した一日でした。気分は良かったんですがね。

*1:公式には一気に大量の雨が降り、多くの土砂を含んだ水が堤防を決壊させたと言う事になっています。事実、朝の雨で美山・池田・河和田・一乗は土石流に埋まり、春日・木田地区は泥に埋もれた訳ですから間違いないのでしょう。越美北線の鉄橋まで流れたぐらいでしたし。こう考えていくと、新潟の皆さんは多大な災難にみまわれられたのだな、と。集中豪雨に地震でしたからね。いや、数々の台風も洒落になりませんでしたが。去年はひどい年でしたね。

*2:嫁から『土盛りの堤防の方がコンクリよりも強度が高い』との指摘。あくまでも噂だったと言う事で。

*3:清水の舞台から見た京都駅はさながら大海原に浮かぶタンカーのようで。京都某ホテルの騒動は一体なんだったんだろうと思ったものです。