偵察行

病院の診療予約は17時だった。天気も良かったので1240に家を出て映画を見ることにしました。観たのは『コンスタンティン』。福井ではまだ『オペラ座の怪人』がかかっているのを知り、少し後悔しました。
映画を観終わり、駅前探索。あちこちに空き店舗が見られ、何とも閑散と。プリズム福井の仮出口の様になっている旧・ひまわり書店界隈は店の入れ替えもある程度あるようで、そこの看板のメニューを暗記したり色々。元町のあたりの人の流れを店の人に聞き、城の橋陸橋が無くなって以後の人の流れに付いての予想を聞いてみたり。何処も暗沌といった感じで。驚いたのは老舗の洋菓子屋さんが駅前の店を閉めていたこと。大和田に全力投入だそうで。小腹が空き、今庄そばにおにぎりをほおばっていると昔の上長にお会いしたり。笑顔で挨拶。あぁ、もう大丈夫かな、と思って見たり。 
病院では、就職活動を始めても構わないとの診断。一応来週まで様子は見るつもりで、あまり動き過ぎないようにとの助言も。あと、深夜勤はしない様にと。考えてみると深夜勤ばかりしていたような気も。

一発逆転を狙うなら実家の店に参画する以外に道は無いものの、それはハイリスクで。だからと言って三十路ともなると工場ラインでも契約からのスタートだろうな、とも。そこには大勢の同級生が『上長』として待っているはずで。それはそれで憂鬱。いや、苦ではないのだけれども、いらないプライドなんかが鎌首を上げてくるのを知るという話で。それはそれで嫌悪感があるのですが。ただ、それもミドルリスク・ミドルリターン。あー、それ以前にあれは深夜勤があるわ(笑
こうなったらフリーターにでもなりましょうか?


[ふと思ったこと]匿名という名の力
JR西日本では運転士や車掌に対する攻撃や暴言が多発しているという。
何の関係もない第三者がある事件を見てその加害者の仲間に対して誹謗中傷を行う。その背景には相手が反撃してこないという確証がある為で、その行為がどれだけ愚かな事であるかを知らないというのはどうかと。

はっきり言って、馬鹿だ。そんなにJRが嫌ならJRを使うな。JRしかないから仕方なく使う?『鉄道』というものが敷設される以前人類はどうやって移動していた?東海道中膝栗毛は小中でその存在を教わったものだと思うのだけれども勘違いだったろうか?歩くのが嫌ならタクシーを使え。で、その代金をJRに請求すればいい。法の下で人は平等である。少なくともそれだけはまだ日本において機能している。*1そこで自分の正義を存分に振るえばいい。そうすれば、匿名の個人は匿名でなくなり、個人としての責任を負うこととなるだろう。いや、ぜひとも負うべきだ。

マスコミその点において匿名の個人である。昨今の報道を見ていると5mや10mのオーバーランすら報道される。『電車でGO! 』か?と一瞬思う。
そもそもこれは構造が招いた話だ。ベテランの40代50代をリストラし、バブル期には正社員を採らない。で、気が付いたら社員がいなかった。だからあわてて採用を始めた。だから入社1年未満≒社会経験1年未満の様な社員でも実戦配備される。そして慣習が崩れる。技術が失われる。バブル期に求人を増やした会社は『何を考えているかわからない』と言ったエコノミスト、大量のリストラを『経営強化だ』と歓迎したコンサルタント、『今の若者にはプロ意識が欠けている』と自分の言に満足そうなコメンテーター。少なくとも、私の廻りには職人意識を持ちすぎるお陰で生活にさえ苦労しているような人々が多い。彼らは責任を負わず、批判されればそれは攻撃だと受け取る。某『フィギュア萌え族(仮)』の記者さんは責任を取っただろうか?あの人は見当違いの犯人像を描き、多くの無辜のオタク*2を攻撃に曝した。だから、一部の善良な市民団体の公開質問状等を突きつけられた。そしてそれを攻撃だと自分のコラムで呟いた。無責任なのは誰か?『プロ意識』とは自分の仕事に責任を持つと言う事だと思うが、ならば何もプロ意識を持たないのは若者だけではない。少なくとも、『異議あり』と叫びつつ、新宿駅を占拠した連中の多くは無責任だったのではないかと思う。それが発露か?いや違う。市民革命?『大塩平八郎の乱』以外にそんなものはあったか?戦国期の『一向一揆』は革命ではない。山城や堺は革命など起こさずに自治を行っていた。それを考えるとどうも後ろ寒い。

オウムで有名になった元赤旗記者の有田氏が以前どこかで『日本人の根本としての無責任』という発言を行っているのを目にした。それは共産党執行部の腐敗についての言及の結論として述べられたもので、当時の私は反感を持ったものだったが今では共感する。

善良な一市民。その言葉自体は心地よいが、その背後には『政治的に何の責任も負わない』という言葉も含まれるし、そもそも『善良』という言葉自体が『善良』には程遠い。『匿名』の怖さ、つまりはすべてにおいて責任を放棄した者の行動がいかなるものかという店においては少なくともここを訪れてくださる方々は良くご存知のはずだ。だからあえてその件について述べようとは思わない。

今はただ、『良識』というものが取り戻される日を祈るばかりである。

*1:最も、一部の裁判官が特定の思想にやたら染まっているというのはどうかとも思う

*2:それ自体妙な気もするが