勝ったか。

 民放が2局しかない福井県民な私はNHKで『その時歴史が動いた』を見ていたのですが、やはりあの10年と言うのはどんな10年だったんだろうと。昭和5年、大正デモクラシーはまだ存在し、エログロナンセンスなんてものまで登場させた日本。それがほんの10年で何故あそこまで変わったのか?大体報道による誘導〜現在の某国の様な『こう書けば売れるから』式な情報操作の果て、結局は世論に押されて日本は戦争へと突入していったのだと思うのです。陸も海も、勝てるなどとは思っていなかったのでしょうし、そもそも日本人の感覚として大陸に於ける空間感覚など持てるはずも無く、中国戦線で陸軍は、太平洋を睨んで海軍は呆然としていたんではないかと。

そもそも日本海軍はただ一回の艦隊決戦が戦争を決めるのだと信じて疑わず、自らが実証して見せた戦艦が時代遅れの兵器であり主戦兵器は航空機であると言う現実を受け入れる事が出来ませんでしたし、受け入れた所でアメリカには勝てない訳でそれはそれで仕方ないのですが、陸軍はすべての土地は平坦であるかの様に兵を動かし、悪戯に陛下の赤子を死に至らしめて恥じず、無能はすべて前線の将兵に帰した訳で、やがては頭上に雨霰と焼夷弾を降り注がれて都市が焼けてもまだまだ戦うのだと言うのはもはや責任の放棄に過ぎず。

海上護衛戦に海軍が気付いた時には既に護るべき船は無く、ソビエト背信を知った時には愕然とするだけの陸軍。

もし戦争に責任があるのだとすればそれは天皇ではなく既に事実上の主権を手にしていた国民にこそある訳で、平成の世になっても天皇の戦争責任などと叫んでいる輩を見るとどうしたものかと。

本当に恐ろしいのは自分の頭で物を考えなくなった時であり、物事をただ受け入れ、疑問を持たなくなったときであると言う事に何故気が付かないのかと。

だからこそ、私は盲信者を警戒するのであって、自分の位置を見計るのに周囲を見渡す訳で。

自分が信用できないと言うのは不幸であるに違いないのですが、自分に疑問を抱かない人間よりはマシだろうと。また、何らかの主義主張だけを奉じて生きて行くよりは幸せなのではないかと思うのです。楽しきゃあないですがね。