2008年問題について

 2008年問題*1とは、団塊の世代が定年を迎え、労働人口がその後減少を辿るのに対して小渕内閣当時に大量発行した国債が償還期限を迎える事によって日本経済〜正確には日本の国家財政が破綻するのではないかと言う問題で、それはもう随分と昔から叫ばれていた事なのですが、ほとんどの人が見ない振りをしていると言うのが現実なのかな?と。
 で、政府はそれに対し増税社会保険費の増加、社会保障費の削減と政策運営としてのインフレを引き起こす事でそれに対処しようとするだろうと言うのが大方の予測なのですが、その対処法についても二つの考えがあるようで。

 一つは中国の経済発展がそのまま持続すると言う見方。
 これは2008年北京オリンピックを終えても中国は経済発展を続け、一方軍事費負担等々でアメリカが破綻し、国際通貨は『元』になるという考え方。この場合、日本国民は自己防衛として『元』や『中国株』を保有すべきだとしています。

 で、もう一つは中国は破綻すると言う見方。
 中国国内に於ける経済的格差及び共産党政権の求心力が失われ中国と言う国家が分裂するのではないかと言う予測の下、やはり破綻を迎えるであろう『ドル』から離れ、とりあえずはインフレを乗り切るために借金をするな、現金を持てと言う考え方。

 どちらも一長一短ある説で、現実にはそんなにひどい事にはならんのではないかと考えるのですが、私は昔から『人はその生涯の中で一度は皆が丸裸になるような天災・人災を受ける事がある』という思いがあるので、多分大変な事になるんではないかと考えてはいます。ですから打って出るにも何をするにもこの2〜3年が正念場だなと思っている訳で、とりあえずはその後をどう生き延びるかを考えているようなものなのです。

 ピンチはチャンスなりと言います。労働人口が減少すればフリーターも正社員になる道が開けるかも知れませんし、逆にフリーターから上がってくる税金の少なさを論拠に企業に対して一定以上の正社員を雇用しなければならない〜という様な政策が実施されるかもしれません。整然とした状況よりも混沌とした状況の方が博打は打ちやすい訳で、ただ、博打ですからすべて失うかもしれないと言うのも道理で。

 ただ、現状の国会や官僚機構を眺めていると、とりあえず私らは江戸時代の農民階級よろしく生かさず殺さずの状況に置かれるんだろうなぁ、と。ただ、下級公務員だって酷い目に遭うのは間違いないんですが。

 ある友人が言っていた事を時々思い出します。『日本には市民革命の歴史は無い』と。精々あったのは戦国期の加賀一向一揆や京都の『山城』、自由交易都市『堺』ぐらいでしょうか?『大塩平八郎の乱』はそういう意味では市民革命といえるんじゃあないかなとは思うのですが、友人の言う『市民革命』とは全国規模で永続的に政権をとったそれを指す訳で、そういう意味においては市民革命など無かったと言えるんでしょうね。

 因みに私は60年代・70年代に起きた学生運動は『市民』革命ではないと考えています。あれは単なる『権力』抗争であったんだろうと。それは江戸幕府に対して薩長連合が『官軍』を名乗って明治政府を開いたのと同じではないかと考えています。

 そういう意味において、私は当時の活動家の方々の一部が帰農していったという事実は至極自然な形であろうと思うのです。国が変えられないのであれば、少なくとも自分の手で出来る事をする。少なくとも、官庁街に向かってパイプ爆弾を打ち込んでみたり、駅前で革命を叫ぶよりは発展的でしょう。

 
 『商業』としての農業は難しいかもしれませんが、『活きる術』としての農業は難しくないと思うのです。ただ、皆がみんなそれに気づいてしまうと日本の国土は足らなくなってしまう訳で、そうなるとまた何か別の手を考えなければならなくなるのですが。

 ある意味、政治に夢が持てる人はうらやましいと思います。少なくとも、私はそんなあやふやなものに希望は見い出せませんし。ならば我が手で出来る事を為すべきなんだろうな、と。


 しばらく放置気味のプロットと言うのは、その思考実験みたいなものなのですが、いつか日の目を見させてやれたらいいなと。

*1:2007年問題としている所もある