生命球と言う考え方
確か私がそれを初めて知ったのは小学生の頃だったと思うのですが、それは密封されたガラス玉で中に金魚と水草が。説明ではそれは中で生物循環が為されていると言う事で。
生産者である水草、植物プランクトン。消費者である動物プランクトンに金魚と分解者である細菌。それがバランスよくその中に封じ込まれていて適度の光の当たる所においておけばそれは一切メンテナンスフリー。世話などしなくてもいいんだとか。*1
で、多分私がCELSS*2と言うものに興味を持ったのはそれが初めてだったと思うのです。これについては何度かここでも述べたので詳しくは割愛しますが、やはりその肝は『物質がその閉鎖された環境の中で循環している』と言う事で。
例えば地球。太陽からのエネルギーを受けてはいますし、一部水素原子は宇宙へと放出されているとのことなのですが、基本的に地球上の元素の総重量と言うのは地球が出来てからの46億年の中でほとんど変わっていないはず。(いや厳密には日々隕石等々が落ちて来ているんですが、大雑把に言えばそれは誤差範囲ではないかと)我々はその中で生まれ、そして還って行くんだなぁ、と。最もこれは仏教の観念なのかな?
ただ、山岳地帯から流れ出したミネラルが鮭マス等々の川魚によって山にかえっていくという概念は初めて見せられたとき衝撃以外の何物でもなかったのですが。逆に言うと、鮭は生まれた河に海からミネラルを送り返す為に生まれたのだとも言えて。
それを思うに我が身の頼りなさと言ったら。さぁ、どうしましょうかねぇ。
*2:閉鎖系もしくは管理された生命維持システム