めめんと・もり

 この題名を使うのは何回目だろうかとも思うのですが、そういう事を考えるにはいい日ではあるのかなとも。

 日本では終戦記念日、某国では開放記念日、またある国では独立記念日戦勝記念日とする国もありますが、わが国は終戦記念日としていますね。最も、満州の地獄はまさに今始まったばかりで、関東軍残存兵力は邦人の引き上げ支援のため上部組織からの命令を無視してソ連軍と戦ったのだとか。民衆の盾として飛び立つ軽爆、遅延作戦を取る歩兵部隊。

 総力戦と言うものがこの世に登場したのは第1次大戦以降で、それでも戦線と市民とは遠く離れていました。第2次大戦のドイツによるロンドン攻撃(第1次世界大戦時は列車砲を使ってパリを砲撃していましたが、V−1/2によるロケット攻撃と言うのはその日ではないでしょう)、アメリカによる戦略爆撃は本格的な市民への攻撃だったのだろうと思います。そしてもう一方、中国共産党は遊撃戦というものを発明、便衣兵という不正規戦部隊を多数活躍させました。これがベトナムや現在のテロの礎になったと言っても構わないのでしょう。

 市民を殺す戦争。これは現代の発明であると思われます。
 おかげで被害者と加害者の境目を曖昧にしてしまったとも言えるんじゃあないかとも。

 日本は確かに中国を侵略したのですが、アメリカは日本国民を虐殺しました。軍需施設のあるところはすべて焼け野原。軍港も民間港も機雷封鎖され輸送船は無差別に沈められると言う状況。

 大正デモクラシーという言葉を確か歴史で習いました。政府は民衆の声を無視できない。これは某国を見ているとつくづくわかります。ある国に対する敵意はすなわち国を愛することなのだから正しいことだ。正しいことを行うのになぜ国は罰するのか?その疑問は当然の物だと思います。その真偽はともかく、かの国は国民にそう教えてきた。で、現在もそう教えている。そしてその力は国を転覆しかねないまでに危険なものとなってしまった。ならばどうするか。国家は民衆に従わざるを得なくなるでしょう。日本でも多分にそういう状況が起きたのだろうと思えるのです。

 なら、責任者はだれなのか?象徴的責任者を一人吊るした所でそれは何の解決にもならない。責任は全員にある。少なくとも私はそう思います。

 もちろん、軍は何を護る為にあるのか?それは確固として規定されなければなりません。
 国とは何なのか?この定義をあいまいにしては議論が成り立たない。軍隊は国を護る。その国とは?日本国憲法にはそれは国民の財産と生命、そして国土と規定されています。
 もし、先の戦争に過ちがあったとすれば、その辺りでしょう。国民は困窮を脱する為に満州進出を望んだ。軍はそれに答え暴走した。公務員集団としての国家はそれを追認した。満州国は世界から批判を浴びた。そしてそれは正義でもなんでもなく国家間の権益争いの結果であった訳で、その背後には民衆があった。ある一団ではこれを資本家と呼びますが、その一団は実は独裁を容認する集団であり、どっちが良いのかわからなくなる訳で。

 陸軍将校団は功を焦った。海軍統帥部は海軍が何たるかを学んでいなかった。結果、我が国は戦争に負けた訳で。ただ、それは今だから見える事であって、多分当時私がその世にあればきっと小銃を担いで今頃東南アジアの名も知らぬ孤島の土と化していたのでしょう。



 死を思うこと。つまりそれは生を思うことであって、決して暗いことではないと思うのです。
 明日、地震が来て死ぬかも知れない。明日と言う日が今日の連続である保証はどこにも無い訳で、それこそ私たちは綱渡りをしているようなもので。
 
 昔、ある友人が『不老不死の種族がいたら』と言う話をしていました。不老不死?それはご苦労なことだな、と私は思いました。永遠の命とは、すなわち無意味なモノに他ならないと感じていたからです。石ころの意思など、私たちは感じられません。不老不死とはすなわち石ころのような存在になる訳で、終わりというものがあることが規定されてこそ初めてそのものに意味があるのではないかと。
 これも結構異常な考え方なのでしょう。
 ただ、いつ死んでも構わないように日々を生きていけたらとは思います。しかしそれも遠い思いなのですが。


*05/08/16ドイツの『ベルリン』攻撃を『ロンドン』攻撃に修正、加筆。そういえばピカソの『ゲルニカ』はどこがどこを爆撃したんだったか。あれが世界最初の戦略爆撃(市民に対する無差別爆撃)だったと聞きますが。