実は昨日もお休みで、

 今日は呼び出しがあり出勤(?)
 父親は耳鼻科に行ったという事で、その貰ってきた薬の見立てが今日の業務(^^;いや私医者じゃないし薬剤師でもないから!と薬を見せてもらって、お医者さんの指示通り間違いなく飲んでくださいと言って帰って来ました。

 それはさておき。

 実は相方の影響で某MMORPGなんぞもやっているのですが、運営会社に不満だという人間が不正ツールを使って嫌がらせを。彼らが言うのには、『不正ツールを取り締まらない運営会社に不正ツールを使ってそれが経営に与える打撃を教え込むのだ』とか。

 これがゆとり世代という奴か?

 何もジャイアニズム中華思想でもいいけど)は特定アジアの国々だけではなく我が国も充分に蝕んでいるんだと。一人っ子政策のあれというかなんというか。最近江戸しぐさの本なんぞ読んでいるもんですから、余計に鼻についたり。ミイラ取りのミイラ、ドラゴンを果てしなく追う者は終にはドラゴンとなる、馬鹿は馬鹿。馬鹿ばっか。
 馬鹿袋をなぜあの時買わなかったのかと今でも悔やまれるのですが、それは別の話。


 最近読んでいる本は太平洋戦争の研究書で、主に『なぜ負けたか』と『なぜ起こったのか』という方向の本で。読み終えたらちゃんと感想なんぞも書こうと思うのですが、一次資料というのはやはり読んでいて興味深いもので、久しぶりに小学校時代『機雷』や『戦艦大和』、『海軍めしたき物語』などを読んだ時の楽しさを思い出しております。いや、実際は楽しい訳ではないのですが、そこに思想的ベクトルがかかっていないという点において楽しいという意味で。通常、我々が読む歴史というのはHistoryであって、高校時代の世界史の先生のお言葉を借りれば『彼の物語』な訳で、そこには必ず思想背景、それを書いた人間の善悪感があり、それを書かせた者の『都合』が含まれるのですが、一次資料というのはその事件に出会った人がそれに直面した時の感覚、つまりは衝撃で良いもまずいもなく、少なくともその人が見たままが描かれる訳で、だからこそ価値がある。例えば、私は去年の水害の時自分の見たものしかそこに記す事が出来なかった訳で、それ以外の事実〜同時発生していた幾多の事象については触れ得ず、それについて語る事は出来なかったのです。だから、その自分の置かれた状況と思った事のみを書いた。実は先日私が勤めていた会社に水が来た原因という場所を父親に教えられてみてきたのですが、そこには何の感慨もなく、ただ思う事といえば、警報なり何なりがあればよかったのになと思う程度でそれ以上の事はなかったのです。何しろ、その現場を見ていたわけでも、それを決断した訳でもなく、ただ、そういうことがあったらしい時かされただけで、私にはあの風景と今目の前にある流れが一致しない。だから、それは私にとって真実なのかどうなのかは確定できず、もしどうしても知りたければそのあたりをその付近住民の人に聞いて廻るしかないのですが、それは今となっては何の意味もない事で、さらに言ってしまえばどうでもいい事で。もし誰かが何か書いたら読んでみようと思う程度で殊更取材しようだの、何だのと思うことはないのです。
 なんにせよ、私の水害というのは股まで水に浸かって見上げた防災ヘリな訳で、会社を辞めてしまったという事で。
 閑話休題。つまりは人々がその時どう考え、どう行動したか。なぜそうなったのかを知ることはこの先同じようなことが起こった場合や、対外的に議論を吹っかけられた時の反論材料になる訳で。そんな所で読んでるんだと思うのです。

 にゅ。