東京〜米原 新幹線300系

 東京駅・新幹線乗換え口、自動販売機で東海道新幹線の自由席券を購入。良く考えて見たら越後湯沢ではくたかに乗りかえってのもアリだったんだなとしばらく後悔。思い起こせば私はまだ上越は乗った事が無く、当然はくたかにも乗った事が無かったのです。まー、仕方ないわさーと悩んだあげく東京〜米原までの特急券を。豊橋で降りようかと思ったのですが、1,000円違わないのでえい、ままよと。
 ホームで待っていたのは300系。0系、100系無き今こだまもひかりも皆300。300は狭いというイメージがあってなんか損した様な感。100系の引退は早過ぎたよなと窓から隣の東のホームを見ると待機していたのは200系。少しだけ気分が良くなったり。E系も乗った事が無かったのですが、500に700、レールスターは乗っているからいいかぁ、とも。いつかこまちに乗りたいな、つばめも乗ってみたいよな、と。
 座席に着き、本を。発車まで随分あったので弁当でも買ってこようかとも思ったものの、ピンと来るものが無くやめ。焼きそばで充分満たされていたものですから。
 程なく発車。自由席だからか、ビジネス客よりも私用の乗客が多い感。

 ひかりは品川を通過。
 薄暗いホームは現代的で、不思議な気分。のぞみが停まったっけか?入線する列車があれば明るくなるのかな?などと。以前上京時品川で降りた時はもっと明るい感もあったので。気のせいか?まーいいや、と目を落とす本は開高健の『ベトナム戦記』。行きに読んだのは山本七平の『日本はなぜ敗れるのか』で、これは3週間がかりになってしまって。水害時思った事と『日本はなぜ敗れるのか』で読んだベトナム帰還兵への某ジャーナリストの取材に関する記述から『ベトナム戦記』を読む事に。ベトナム戦争については様々な思想を持つ人間が様々な行動を取った〜ただしその行動は思想から発生したものなのか行動の理由付けに用いられたのかは別〜事について、その原点である前線……その時ベトナムで何が起こっていたのか?を読みたく購入。ティム・オブライエン村上春樹の『本当の戦争の話をしよう』は既読なのでとりあえず開高健をチョイスしたのだけれども自分がなぜこういう位置にいるのか、再確認する事に。なるほど、自分は仏教徒なのだ。だから相容れない気持ちにあるのだな、と。どちらにせよ、南・東南アジアの現代史はもっと読まなければなぁ、と言う感想を持つ事に。あとは宗教と国家の係わり合いか……儒教国家について書かれた本はあるのかな?

 ぼんやりとしているうちに新横浜着。自由席への乗客は少なく、車両はいとも容易く彼らを飲み込み定刻発車。『指定より自由の方がより自由』と言っていたのは誰だったけかな、と二人掛を一人で占有している気楽さ。まだまだ空席はありそれ以前にここより名古屋までの2時間近く停車すらしない。ならばこの空間はその間間違いなく独り占めで気楽な旅となる訳で。普通列車の気楽さはまさにこの辺りで、『安くしかも広々と空間を使える』のが醍醐味。そういう意味では新快速よりも昼間の新幹線はその要素を多分に含んでいると言えよう。ただ、やはり痛いのは料金である。車掌さんの検札で出した特急券をシミジミと眺める。4,000円ちょい。タクシーであれば隣り街にも行けない金額ではあるが、それでも普通列車乗りには福井〜京都の往復運賃足りうる。ビジネスホテルの一泊か?そう思いついた時、不意におかしさがこみ上げてきた。そう言えば、昨日のホテルは滞在5時間だったな。

 車内販売でアイスクリームを買う。スジャータのバニラ、固いので少しとかしてお召し上がりくださいとの事。ホットコーヒーを頼んで匙でかけつつとかしつつアイスを楽しむというやり方もあるのだけれども、さすがにそれも気が引けた。テーブルを出し、しばらくお預け。車窓からは富士が見えた。真っ白に雪化粧した富士。角度が変わり、様々な表情を見せる。好みで言えば、静岡近辺からみた富士が一番好みだった。熱海近辺では雪が物足りなかった。少ない訳ではない。無秩序に多すぎた。ドーナツ屋だったら多分シュガーの振りすぎだとしかられるような富士。静岡付近ではその按配が絶妙に思えた。
 ふと気づいた事がある。静岡には薬品メーカーの工場が多い事だった。明治製菓にアステラス、協和発酵もあった様に思う。水なんだろうか?製紙工場の間に建つそれらはそんな要件なのかな、と。製紙工場……親方と天然塩の話をしていて出て来た話題があった。それは中国の化学工場事故に絡んで出た話だったのだけれども、奇形の魚と言う話題だった。親方が一番奇形の魚をみたのは20の頃だと言う。瀬戸内はその頃四国沿岸にも塩田が広がり、修行の合間に見に行ったそうで。それが製紙工場に変わり、瀬戸内はヘドロに埋まったのではないかと言う。淡路島や瀬戸内沿岸がコンビナートとなり、結果瀬戸内が死んだのではないかと。親方が姫路にいた頃は魚と言えば生きているものと相場が決まっていたらしい。死んだ魚など食べない?ある意味不思議にも思える話だったが、江戸前という言葉や現在のエチゼンクラゲの大繁殖などを思うと確かにそれは言えるのかも知れない。無化学工業時代の排水はすべて微生物が分解可能な生物でそれらは循環が成り立っていた。だから東京湾は江戸から流れ込む生活廃水で一種巨大な養殖場となり、従って人々はそこで獲れるうまい魚を食膳にのぼらせていたのだろう。対して近代化学工業の排水や合成肥料が混ざった川の水は時に暴走的なプランクトンの大発生を招き、微生物が分解しきれないような複雑な構造を持ったものはヘドロとなり海底に溜まった。そして魚は駆逐された。自然の排水浄化システムである干潟は潰され宅地になり、商業地になった。明治大正はアサリ売りが東京市部をあるいたというが今では北の某国から買ってきたそれを九州某県の浜辺に蒔いて『国産』と言っていたらしい。福井のスーパーでは最近愛知産ばかりが目に付くようになったのだけれども、昨今はアサリは随分食べなくなった。東京駅では必ず買っていた深川飯も最近は買わない。腹も減った。アイスクリームはやや柔らかくなった気がしたが、さすが新幹線のアイスクリーム、プラスチックスプーンでは歯が立たない固さだった。削り取り、削り取りつつ口中へ運ぶ。冷たさと乳の香りとその甘さ。文庫を開いて読み読み食べた。

 アイスも食べ終え、少し眠る事に。気がつくと名古屋だった。ここから終点新大阪までは各停。ぼんやりと文庫を眺めた。岐阜羽島を越え、関が原は雪原だった。それ以外は曇りだった。