麦秋

 通勤途中の景色、やはり一瞬よくわからなくなる事が。

 今は秋なのか、初夏なのか。
 金色に輝く麦畑。青々としたあぜの雑草、まだ若々しい稲苗たち。かなたの山の緑はまだ柔らかく、日差しは肌を焼くに充分の様。

 麦たちは、なぜこの時期に穂をつけようと思ったんかいなぁ、と。今つけておけばうまくすると秋にもう一回行ける。ただ、その為には冬、雪の下で耐えなきゃならなかった訳で。

 苦境もなければ実りもないか、などとも。

 ある若くして死んだ小説家は成田空港で労働をしながらその傍ら書いた小説でデビューしたんだとか。短編を数点しか読んだ事がないのですが、それもまた新宮へ行ってみたくなったきっかけだったり。

 9月には車検。予算の目処はなし。今の働きでは喰ってくのがやっと。かといって新店の方の進展も無し。別にうまく言いたい訳でもなく。むしろうまくいってほしいのは(以下略
 冬だと言っても長い冬。実りはいつなんだろう、ともう一年。一年と言えば戦争が始まって終わるほど。人類の何分の一かが最初の数日で死んでしまうほど。現実もあまり楽しい話でもなく。

 敵はどこかと探し回って結局敵を作ってしまうという話。『怒ってる?怒ってる?』と繰り返し聞いて果てには相手を怒らせる。それは笑い話になるんですが、まぁ、前者は洒落にもならんな、と。ただ、世の中の仕組みってのはやっぱり単純に出来てるんではないかと。

 なにがしたいんだか、よくわからない事が多すぎる。何も考えてないんだろうな、と思えば腹も立つ事はないのだけれども、最も、腹を立てる立場でもないんだけれども。



 単純だけれども複雑。複雑なものほど単純な仕組みが組み合わさっている様な。フラクタルとかカオスとか。中谷宇吉郎先生はやはり偉大なり、なのです。

 まだまだ。がんばりますよ。