(練習)とある風景

 その館は郊外にあった。ありきたりな表現で言えば『人里離れた』が一番しっくりするような山林に囲まれた場所。最後に民家を見たのはもう10分も前かな。沙織は迎えに来た軽ワゴンに揺られながらそこへとたどり着いた。その車を運転しているのは老人だった。執事と言うよりは下男、と言う方がいいような風体の彼は人嫌いなその屋敷の持ち主に代わって様々な雑用をこなす為に雇われていた男で、近隣の集落から通って来ていた。名前は源治と言うそうだ。
「さぁ、着いたぞ」
 源治は車を停めると鉄製の門を開けるため車を降りていった。沙織は膝に乗せたボストンバッグの取っ手を思わず両手で握り締めていた。
「わぁ、大きいお屋敷」
 事前に聞かされた話ではその屋敷には青年が1人住んでいるだけだと言うことで、沙織はそれに似合う程度の大きさの家だと思い込んでいた。大きな玄関を中心に両翼はそれぞれ40mほど。2階建てのその屋敷は多分普通の家であれば5軒ほどが並んでしまうだろう。一体いくつの部屋があるのか。それは沙織のこれからの日常を左右する問題だった。
 門を開けた源治は運転席に戻り車を再び走らせた。ぞんざいながらも手入れはされているであろう庭を抜け、源治は車を館の車寄せへと横付けした。沙織はすこし戸惑いを覚えた。
「勝手口、から入るんじゃないんですか?」
 そんな声に源治はドアを開けながら答えた。
「いいんだよ、幸祐さまがそうしろっておっしゃってるんだ」
 一瞬躊躇しながら、沙織はシートベルトを外し、抱えていたボストンバッグを手に車を降りた。玄関ドアの前に立ち、小さく息を吸い込むとその木製のがっしりとしたドアを見上げた。源治はそこがまるで我が家であるかのような気軽さでそのドアを開けて中へと入っていった。そして屋敷の奥へと声をかけた。
「幸祐様、沙織さんをお連れしましたぜ」
 沙織はその状況に戸惑いながらも館へと足を踏み入れた。そこはホールになっており、多分20畳ほどの吹き抜けになっていた。天上からはやや古臭い感じのするシャンデリアが吊り下げられ、明り取りの窓からの光に反射していた。
 やがて、奥から足音が聞こえた。程なく現れたのは白地に青いストライプの入ったシャツにモスグリーンのスラックスを身に付けた青年だった。服は全体的に少しよれている印象があった。前任の家政婦が辞めたのは少し前だと聞かされていたから、それはこの青年……昭島幸祐本人が洗濯したものだろうな、と沙織は微かに笑った。それに気付いた沙織は慌ててよそ行きの笑顔を作り、一呼吸。そしてボストンバッグを自分の傍らに降ろし、両手を膝に添えるようにお辞儀をして言った。
「はじめまして、幸祐様。私、本日よりお世話をさせていただきます、間中沙織と申します」 
 沙織が頭を上げると、幸祐が軽く肯いた。
「間中さん、ですね。無駄に広い家で申し訳ないけど、今日からよろしくお願いしますね」
 沙織はその幸祐の笑顔に何か軽い違和感を覚えた。昔、よく見かけていたような。だが、それが何であるか今の沙織には思いだせなかった。