昨日はひと悶着あったようで。

 昨日は福井市の春祭りにおけるメインイベント、越前時代行列があったのですがその2時間後、その出発点となった県庁……というか福井城址……が騒々しかったそうですね。ニコニコ動画において『寝れ!』と連呼された枝野大臣が大飯原発の再稼動についてお話にいらしたとか。さすがに『人殺し』はねーだろと新聞記事を読んでたんですけれども、福井側の『供給地の努力が消費地に伝わっていない』というのもどうかと思わなくもないのです。

 Twitterなんか見てますと、時折『交付金目当てに俺らを死の淵に立たせやがって』というような非難を目にします。いやまぁ、確かにそれはあるんだけれどもなぁ、と個人的には思わなくもないのですけれども、需要があってこその供給な訳で、そのすべてを立地側に責任負わすというのはどうかと思うのです。反対派側の『電気を使わない生活を』という発言に、容認側が『ならお前はPCを切れ』という返答。この辺りも乱暴ではありますが、どっちの言わんとすることもわかるもんですから、あーあという気分で眺めていたりします。
 ところで道頓堀では今でもカニが蠢いているのでしょうか?

 電力会社は24h火力を動かし続ければいいのだという趣旨の発言があったり、某新聞が某社の火力発電所における点検不備を指摘して、それが虚偽だという記事がほかの新聞に載るとか、もうお前らはどこに行きたいんだ? という気分もあるのですが、なんというか。

 自然エネルギーで供給は無理という発言を『推進派の妄言』と叩いてみたり、『供給できるのは自明。ソースなんかお前が探せ』とか、無茶な発言も目にします。


 もちろんこの辺りは『匿名の罠』という辺りか、『ネット総2ちゃん化』(いわゆる投げっぱなしジャーマン)という辺りに話をまとめることができるのかも知れないのですが、何の検討もなしにただ自分の欲望とか願望をぶつけ、その実現を他者に要求し、さらにそれができないことをまたどこかの誰かの責任として責め立てるというのはまったくもってどうかと思わなくもないのです。
 東電の電気量値上げに関わる騒動もそうでしたよね?
 原発を停止して火力を動かせば燃料費が要るのは当然で、需要が高まれば相場は上がり、あらゆる方面でモノの値段が上がっていくというのは当然の事なはずなのですが、それを一企業に責を負わさんとするのはどうかとも思うのです。……電気料が上がれば国内における製造業が大打撃を受けるというのは兼ねてから危惧されていた話で、それをして私は容認派の位置をとる訳だったのですけれども、まぁ、あんま理解もしてもらえんのだろうなぁ、と。

 福島の方々が問題を提起するのは当然で、それは正しいことだし必要なことだと思うのですけれども、それをみて『わしらもいつの日か被害者に!』と、すべての権限を俺によこせと言い出す方はやはり大丈夫か? と尋ねたくもあります。
 民主政権に対する評価のひとつに、『権力とは運用するものであり、それは慎重に慎重を重ねて行うべきもの。それをただ誰かが悪いのだと批判するだけではなにも動かない』というのがあったかと思います。運用者がその組織を批判するだけの人間となっては統率なんかできる訳がありませんし、すべてを対立構図へ持ち込むというのはそれは政治ではなく選挙活動であろうと。

 閑話休題
 話がとっちらかりましたが、多分民主政権はその内部で大飯原発再稼動を決済しきれないと思います。そしてそのまま夏に突入すれば良い。それが反対派の方々が望む状況であろうと。もちろん大停電なんかが起きたら『関電は!』と怒鳴り散らすんでしょうけれども。えぇ。
 申し訳ないですけど、他人事です。
 北電管内においては敦賀原発の再稼動なんて不可能でしょうからもうどうとでもなれなのです。

 それにしてもすごいよなぁ。夜中も火力をガンガン回して、その電力で揚水発電所を動かせとかどんな罠かと。
 個人的には今こそ鳩山氏がその責任において行動されることを祈るばかりです。風呂敷広げてきたんやから、畳むにしてもなんにしてもな、と。