メーヴェの紋章

 小型トラックは岩に激突し、停車していた。運転席にいた男は死んでいた。
「生きてる奴いるかー?」
 ギルが短機関銃を構えて呼びかけた。ラルファは拳銃を抜いてはいなかった。
「俺たちはメーヴェの護送傭兵だ。盗賊は逃げた。生きている人、出てきても大丈夫です」
 すると、荷台から三人の女が恐る恐る出てきた。1人は年の頃18、残った2人は姉妹のような風で、12と10と言った所か?3人ともメイド服を着ている。ラルファはギルをちらりと見たが、ギルは軽機関銃を下ろそうとはしなかった。
「怪我は、ありませんか?」
「はい、大丈夫です」
 一番年長の娘が答えた。二人は震えている。姉は妹をかばうようにたっていた。妹は涙目だった。ギルは短機関銃銃口を下ろした。ラルファはチラリとトラックの運転席の方を向いた。
「残念です……が、あまりにも無用心です。この砂漠は盗賊の巣のような所、護衛も無しに渡るべき所ではありません」
 年長の娘は俯いていた。いつの間にかシルビアが二人の少女の前にしゃがみこみ、一番幼い子の頭を撫でていた。『大丈夫、大丈夫』シルビアは微笑みかけているつもりなのだろうが、ほとんど無表情だった。それでも少女は安心したらしく、震えが止まっていた。それを確認したシルビアは、お姉さんの肩をポンと叩いて『頑張ったね』と言った。少女は黙って頷いた。シルビアがラルファを見つめる。ラルファはその意味に気づき、小さく頷いた。
「もし、よろしければ近くのオアシス都市までお送りします。御代は結構ですから、ぜひ」
 娘は明らかに身構えた。
「我々は自由都市メーヴェの市民です。その誇りに誓って皆さんの安全を保障します」
 娘はしばらく悩んでいるようだったが、スカートのすそを引っ張る少女に気づいた。
「では、申し訳ないのですが、お願いが……」
 娘は事の次第を話し始めた。
 彼女たちはランフィール王国の商家に使えるメイドで、それぞれ名前はメイ、エメラ、アクアだという。ルビー公国の出店へ奥様に従って同行中クーデターに遭い、奥様から旦那様への手紙を託され命からがら逃げ出したのだそうだ。
「……ですから、ランフィール王国の王都まで私たちを送り届けてはいただけませんでしょうか?」
 ラルファはギルと顔を見合わせた。
「奥様は、どうされたのですか?」
「はい、クーデター政権に逮捕され、連れて行かれてしまいました」
 確かに、噂通りではある。ラルファは少し引っかかるものを感じたが仕事にあぶれていたのも事実で、そのメイの申し出をとりあえず了解した。
「一応メーヴェのギルド本部に打電してみます。クーデターに備えて我々メーヴェも動員令がかかっているかも知れません。その場合は申し訳ないのですが出来る限り近くのオアシス都市まで、と言う事で勘弁していただきますよ」
「それでも結構です」
 メイはぎこちなく微笑んだ。護衛装甲車には兵員室が設けられていた。これは商隊護衛のための傭兵を乗せるための設備で本来ならば『お客』を乗せるためのものではなかった。ラルファはその乗り心地の悪さを伝えたが、ここまでトラックの荷台に乗って来たのです、いすがあるだけましです、と答えた。それでは本部と交信している間に荷物をまとめてくださいね、とラルファがいうとメイは、荷物は何も無いんですよ、と笑った。
「着の身着のままでしたから……。でも、お礼はランフィールについてからか……そうか、このブローチをお金に換えれば何とかなると思います」
と、胸元のブローチを指し示した。それはルビーで出来ていて、母親の形見なのだという。ラルファはなんと言ったものかと言葉を探したが、何も思い付かなかった。ただ微笑を浮かべて頷いて見せて、そして連絡を取ろうと装甲車に戻ろうとしたとき、一番小さなアクアが淋しそうに言った。
「おじさま、死んじゃったの?」
 『おじさま』とは、トラックを運転していた男を指すらしい。メイは、静かにうん、と頷いてアクアを抱きしめていた。おはか、おはか。確かにそのままにしておくには忍びないなと思っていた矢先、ギルが装甲車の側面に備え付けられていたスコップを取り外しにかかった。
「早く交信を済ませて手伝えよ」
 ラルファは『ん』とだけ答え、車長席へと戻った。その時、砲塔の上に登り周囲を警戒していたシルビアの頭を撫でた。シルビアは、ほほを少しだけ赤らめたような気がした。

 ギルド本部からの連絡ではメーヴェはまだルビー公国のクーデターに対して何の反応もしていないらしい。ただし、その自治権……それはランフィール王国から与えられたものだったが……が脅かされるような事があれば対抗せざるを得ないだろう、と行政府は言っているらしい。それはそうだろう、とラルファは思った。仕事の件についてはギルドはおめでとう、とだけ言って寄こしただけだった。交信を終え、墓作りを手伝う。とはいっても2mほどの深さの穴を掘り男の遺体を埋めただけだった。墓標はそこにあった石だ。男もやはりこの砂漠で運び屋をやっていた俗にいう『砂漠の民』だった。どうせ俺たちもこうなるだけさ、とギルは笑った。
「ルビー公国の方、砂塵が見える!」
 シルビアの声、盗賊が戻ってきたのか?
「行きましょう!」
 ラルファは男への祈りをささげていた三人に呼びかけて装甲車へと走った。シルビアは既に操縦席へと戻りエンジンをかけ出発の準備を整えていた。後部ハッチを開き、先に3人を中に入れると最後にラルファが装甲車に乗り込みシルビアに合図した。メイたちが簡易座席に座ったのを確認すると、シルビアは思いっきりアクセルを吹かした。車長席に戻ろうとしていたラルファがよろける。ギルが笑った。
「しっかりしろよ、ラルファ初等指揮官!」
「兵卒長、上官侮辱罪って知ってるか?」
 ギルは大声を上げて笑った。
 幸い、追っ手の足は遅いようで見る見るうちに砂塵は小さくなっていった。ラルファはアルストラ砂漠の地図を広げてルートを確認した。約3日か。手持ちの食料は充分だが、水は心もとない。
「シルビア、燃料残量は?」
「半分よりちょっとある」
 となると、やはりどこかのオアシス都市で水や燃料を補給しなければならない。大体の行程を組み、ラルファは地図を示しながらメイにそれを説明した。
「大半は野宿になってしまうと思いますが、1日はこのオアシス都市でゆっくり休めますよ」
「わかりました、ありがとうございます」
 笑顔で答えたメイの表情が少しだけこわばったのをラルファは見逃さなかった。

 ラルファが車長席に戻りギルに視線を投げかける。ハッチから上半身を出した所へギルが砲手ハッチから顔を出した。
「なんだ?」
「あぁ」
 車外での会話はエンジン音や風の音にかき消されて車内には聞こえない。ラルファは話を切り出した。
「なんか、変じゃないか?あの3人」
「あー、そりゃ変だ。砂漠のど真ん中、運び屋のトラックの荷台に乗った3人のメイド。しかもそのうち2人は幼すぎる。あの男が人買いって訳でもなさそうだったしな」
 インカムを通じて彼らの会話はシルビアにも聞こえているはずだったが、ラルファはそれはそれで構わないと思っていた。
「おじさまって、言ったよな。あのアクアって子。そんな上品な言葉使い、メイドがするもんだろうか?」
 盗賊にとってメーヴェの紋章と言うのは恐怖の対象だったはずだった。大抵の場合、盗賊はメーヴェの護衛傭兵を直接は襲わない。なぜならば、メーヴェの護衛傭兵が殺されたとき、メーヴェはその全傭兵団に向けその盗賊を追討する様命じるからだ。それが今回は直接襲い掛かってきた。なぜだろう?相手がメーヴェのことを知らなかったからなのか、それとも襲っていた相手……つまりメイ達がそれだけ魅力的な荷物、だったのか?
「なぁ、ギル。野営と宿屋のベット、お前どっちが好きだ?」
「んー、俺は野営の方が好きなんだよ、実は」
「お前は変人だ」
 ヘッドセットからシルビアのくすっと言う笑い声が聞こえた。ラルファの気はそれで間切れた。まぁ、仕事だ。傭兵だからな。仕事をしなくちゃはじまらない。まずはそれからだな、ラルファはつぶやくように言った。ギルも頷いていた。