はるか計画設定部

 4畳半ほどの研究室。男は窓に向かって置かれたデスクで山積みになった本や書類に囲まれながらPCの画面を睨んでいた。時折老眼鏡をずらし、書類を眺め、また画面に向かう。
 ノックが響く。男は視線をそらさず『開いてるよ』とぼっきらぼうに言った。入ってきたのは男と同じ年恰好の男だった。彼らはともにこの研究所の研究員だった。
「聞いたぞ」
 そういって入ってきた背広姿の男は一応ゼミにも使える様にと置かれていた4人がけのテーブル……もちろんそこにも書物や書類が乱雑に積み上げられていたのだが、カバンを無造作に置くとちいさなシンクの上にある造り付けの棚からカップと紅茶のパックを二つづつ出し、湯沸しポットの中のお湯の残量を確かめた。
「悪い、俺はインスタントコーヒーにしてくれ」
 男は画面に釘付けだった。背広の男はあきれた風もなく棚からインスタントコーヒーのビンを取り出すとスプーン2杯をカップに入れ、もう一方のカップにはティーパックを放り込んでそれぞれのカップに湯を注いだ。そして紅茶のカップを手にカバンを置いたテーブルの席に座り男の様子を見ていた。研究室内にはキーを叩く音と紅茶を啜る音だけがした。
 紅茶も半分になった頃、男は一つ背伸びをして背広の男に振り返った。シンクの上に置かれたコーヒーを手に取り、入れっぱなしになっていたスプーンそれを無造作にかき回した。
「で、聞いたってのはアレか?『はるか』の助成金の話か?」
「そうだよ」
 背広の男はあきれたように言葉を続けた。
「『近未来における局地戦闘用兵器に関する諸研究』って、お題からして泣かせるじゃねーか」
「お前、生まれは関西だったよな」
「北陸だよ、馬鹿」
 男がコーヒーを啜った。そして一言、吐き捨てるように言った。
「金が足りん。後一歩と言う所で、金が足りん」
「くやしいな」
 『はるか計画』……代替人体開発計画は解散の危機に陥っていた。計画はただでさえ市民団体からの反発、宗教団体からの攻撃に晒されていた上、それまで政財界へあらゆる手段を講じてこの計画を支えてきた霞財団総帥が死んでしまった現在、もはやノイジィ・マイノリティだけでなく霞財団の政敵および霞財団の中にあった計画反対派までもが敵となっていた。
フォン・ノイマンアメリカじゃ英雄だろう?」
 男の言葉に背広の男は答えた。
「イギリス人がどう考えてるかまでは知らんがな」
 男は何も言わずにコーヒーを啜った。
「……彼女たちは、どう思うのかな?」
「恨むだろうな、俺たちを」
「そうしてもらった方が、救われるような気がするのは一度カウンセリングを受けた方がいいんだろうかな?」
「どうだろうな?」
 背広の男は残った紅茶を啜った。
「でも、おかげで俺たちAI班は思わぬ予算を手に入れた。『介護用アンドロイド開発計画』より格段に大きな資金だ。難を言えば、戦闘服を着た男たちが俺たちの研究室に出入りするような事になることぐらいだがな」
「そのあたりはあちらさんも気にしてくれるさ」
「どうだろうな?広東共和国あたりがきな臭いっていう話じゃないか?」
「あー、そういえばもう1年も新聞読んでなかったわ。知らん」
「そうか」
 カップをすすぎ、洗おうとする背広の男を男は制止した。
「それぐらいやるよ。悪かった」
「いや……すまなかった」
 背広の男はそういうとカバンを担いで部屋を出て行った。男は、残っていたコーヒーを一気に飲み干した。窓の外は雪がちらついていた。
「冬、か」
 男は何の気なしにつぶやいた。