桜舞う頃

 淡いピンク色の花びらが折からの強風に煽られて一斉に舞った。僕はただその光景に見入っていた。
「エッチ!!」
 突然の声に僕は戸惑いを覚えた。目の前には一人の少女が立っていた。いまどき珍しいセーラー服の少女。高校生だろうか?その制服はなにか懐かしいものを僕に思い起こさせた。どうやら少女は怒っているらしい。僕にはその理由に皆目見当がつかなかったが、少女は明らかに僕を責める様な目つきで睨んでいた。それにしても、『エッチ』なんて単語を最後に聞いたのはいつだろう。僕は不思議な気分だった。
「私のパンツ、見たでしょ!」
「へ?」
「とぼけたって駄目よ!今風でスカートがめくれた時、あなた私のほうをジィーっと見てたもの」
 えーと、つまりはそういう事か。僕は少女の怒りの原因をようやく理解した。
「うーん、だとすれば僕はえらく損をしたと言う事になるなぁ」
「何がよ!!」
 少女の目つきが一段と険しくなった。僕はふと空を見上げた。
「ほら、僕は散る桜に見とれてたんだ。だから、君のパンツにまで注意が行かなかった。だとしたら、僕はせっかくのチャンスを不意にした事になる。僕は君のパンツを見ることが出来たのにもかかわらず桜だけを見ていた。……その上君に怒られてる。やっぱり僕は損をしている」
 少女はきょとんとしていた。そしてしばらく絶句したまま僕を見つめると、突然笑い出した。
「あんた、変わってる」
「そうかな?」
 僕は少し傷ついた。

 河原に降りて少女と二人並んで屋台のたこ焼きを食べた。
「で、何でこんな事になってるんだろう?」
「僕に聞かれても良くわかんないよ」
 空は晴れ渡り、平日だと言うのにもかかわらずいくつものグループが宴会をしていた。
「おじさん、何してる人?」
 少女はスカートの中にシャージのズボンをはいていた。その事実を知った時、僕は詐欺だと思った。水面には偶然真っ白な水鳥が舞い降りてきた。こんなに騒がしい中で良く怖くないもんだな、と僕は風で飛ばされた花鰹の一片を見送った。
「んー、今は病人、かな?」
 少女は危うく口に運びかけたたこ焼きを落としかけた。
「病人って、どこが悪いの?」
「んー、どこがって具体的に言えないんだ。うつ病ってわかるかな?気持ちの病」 
 少女は驚いた様子だった。
「おじさん、ぜんぜん普通じゃん」
 僕は鼻の頭をかいた。
「そうでもないよ。薬のお陰で症状が抑えられてるんだと思う。初めの頃は風邪をこじらせたんだと思ってたんだけどね。どうも違ったんだ」
「会社は?」
「辞めたよ?」
 へぇー、と呟いて少女はたこ焼きをほうばった。
「あへ、ひゃあいひゃ無職はほ?」
 何でまた無職だけは綺麗に発音できるんだろう?僕は不思議に思えた。
「うん、無職だよ。あと、口に物を入れたまま喋るのは感心しない」
「なんで私お説教されなきゃいけないの?」
「君が聞きたくない単語だけを上手に発音できたからだよ」
 相変わらず風は花びらを散らせていた。幼稚園児と思わしき子ども達が空中でその花びらを捕まえる遊びをしていた。
「僕が子どもの頃、ああいう遊びはしなかったなぁ。第一、花見なんてしたことが無かったし」
「えーと、母子家庭?」
 少女はおずおずと聞いてきた。僕は笑って見せた。
「当たらずとも遠からじ……って、難しいかな?」
「現国は得意なのよ?」
 少女は胸を張って言った。あんまり無い。
「そうか。まぁ、似た様な境遇ではあったんだ。父親は一旦仕事にでると数ヶ月も帰ってこなかった様な感じだったし」
「漁師さん?」
「行商人。町から町へと全国を回ってたみたいだよ。たまに帰って来るといろんな話を聞かせてもらったもんだ」
「いいなぁ。私お父さんいないんだ」
「へぇ」
 桜はまだ散り続けていた。若葉はまだやさしい色を帯び始めたばかりだった。僕は少女と二人、水面を流れる桜の花びらを眺めていた。たこ焼きはあんまり美味しくなかったが、それなりの値段はした。まぁ、そんな日もあるさ。僕はそう思うことにした。