統率手法

 人を束ねるには必勝必罰が肝要というのは世の習いなのですが、恐怖で統率をとるという手法も度々行われ、有名な例をあげるとナポレオンやスターリンヒトラーなんかがそうではないかと。本邦だと信長でしょうか?反対するものは粛清してしまう。確かに短期的には非常に有用な手法なのですが、長期的に見ると組織が萎縮してしまい、その周囲には俗に言うイエスマンしか残らなくなり、最後には正しい情報が伝わってこなくなる。司令官はリーダーの耳に心地よい言葉しか発しなくなり……最もだからこそ今彼らはそこにいる訳で、リーダーは結局状況を把握できなくなり失策を犯すことになる。(ヒトラー)もしくは大原則を無視してリーダーの言葉に盲従し、最終局面に役に立たない部下を作ってしまう。(ナポレオン)
時にはあまりに非情な命令を発しすぎた為生真面目にそれを実行していた部下が切れて反逆する。(信長)この統御法を実行するならば、ともかく非情に反対勢力の芽を叩き潰していく/反対勢力でなくとも抹殺するしかなくなる訳で。(スターリン
 その逆に正義を信じ込ませるというのもあったり。例えば米国や太平洋戦争時の日本。正義/大義の名の下に国民を結集させる訳なのですが、その正義や大義を教え込むのが大変。例えば米国征く先には必ず敵対勢力に虐殺されている市民がいる訳で。(南京・クウェート)実際にはそれは行われて様が無かろうがかまわなかったり。もしくは『大東亜共栄圏』という思想をぶち上げてみたり。それ自体は正しいのですが、国民がそこまで献身的ではなかったり、もしくはその背後でうまい汁を吸おうと待ち構えている人間がいたり。また、どちらにせよその正義や大義を否定するものを信ずるものは攻撃します。そして社会はそれを許容する。問題はそこにあるのですが、そもそも市民というものは共有幻影の中に生きたがるのかも知れません。日本云々についてはちょっと今読み進めている本があるのでこれを読みきってからまたあっちで書いてみようかな、とも。

 やっぱり統率は必賞必罰に限ると思うのですが、これも相手にとってそれが賞になったり罰になったりするので考えもの。例えば例の青色発光ダイオードの偉い人。昨日フジ系のニュース番組を見ていたのですが、彼は生涯一研究者として高給を得たかったとの発言があって。給料を取るなら理系は捨て文系の仕事をせよというのが日本のシステムで、だから僕はアメリカにいるんだと。和を持って尊しとなす我が国においてはどうかとは思うのですが、だからと言って文系だけが高給を取るというのはおかしな話であり、技術で喰っていく会社であるならば技術者を重用すべきなのではと思うのは多分理系卒のひがみにしか聞こえんのだろうなぁ、と。ビデオは日本のねじれを訴える様なつくりになっていたにもかかわらず、アナウンサーは我を張るのはおかしいという結論に収束させたのを見て、あー、アナウンサーというのは日本語を知らなくても出来るんだな、と思ったり。爆笑問題の大田さんもいたのですが、なにしてんだか。理系は基本的に『芸』なのですよ。『芸』で喰ってくのならば『芸人』こそが擁護すべきなんではないかと思いつつボンヤリと眺めていました。某国はモノつくりをする人間を卑しい存在とし、文民こそが最高という風潮でああなったんだとか。いやはや、我が国もそうなってくのかな、と。

 一番偉いのは事務次官さんですからね、我が国では。

 ……あれ?なんか表題と食い違ったな。まあいいか