(mixiより)『アミ』

 ハタハタの頭を落とし、小出刃の刃先で内臓を引き出す。その膨れた胃袋の中には無数の目があった。

 水曜日は、市場が休みだ。
 休みといっても実際は動いているらしく、昨夜上がった地場物だけのセリがあるらしい。だから、仲卸さんらも今日は半分仕事だそうだ。
 すし屋は大抵水曜を休む。これは同業組合の取り決めだそうでうちもそれに従ってしばらく水曜定休にしていた。だが、親方が怒り出した。週の半ばに休みを取ると土日に向けての仕込が出来ない。だから、月曜を休みにした。そもそもは、水曜は魚の入荷がないからと休みことにしていたはずなのだけれども。

 正午過ぎ。普通の店であれば昼食のお客で戦場と化しているはずの時間帯。私たちは大抵仕込みをする。普段であれば、炊き合わせや先付の仕込みとなるのだが、今日は仲卸からの入荷があった。
 ぶりが二本、長崎との札があった。多分、昨日の品物なのだろう。多分、売れなかったのだろう。一本5千円の仕入れ。オマケがついていた。
 
 トロ箱一杯の小魚。見ると半分がハタハタ、半分が小あじ。見慣れぬ魚も2匹ほど。
「お、おじさんがおる」
 地方によっては、おばさんというそうだ。親方はぶりを持ってカウンターへ。調理場ではハタハタと小あじの処理だ。

 ハタハタは頭を落とし、腹を抜き、水に晒して水を切る。
 小あじはひたすら3枚おろし。親指と人差し指を開いた程度の小あじは大きいほうで、大抵は人差し指の長さもなかった。中には小指ほどのアジも。
 
 ひたすらハタハタの頭を落とす。膨れた腹の中身はすべてアミだった。産卵を終え、痩せたハタハタは次なるシーズンの為必死なのだろう。アジの中にもアミを満たしたものがいた。すべての魚の頭を落とし、ハタハタをザルに入れ、ボールに置いたら水をかけ。日本というのは水がある事を前提としているのだよな、とふと思ったりも。最初ピンク色に染まった水も次第に澄んで来る。その合間にアジを開いていく。
 
 観音開きというのだろうか?弟はそうしていた。私はどうも背びれの処理が苦手だったのでひたすら普通の三枚おろしを続けていた。
 終わった頃には2時を回っていた。アジは酢でしめ、寿司ネタに。ハタハタは天だねに仕込んだ。ぶりはすべて焼き物となるそうだった。

 仕込みを終え、踏み台に腰掛ると膝が少し痛んだ。はて、私は将来に向けて何かしているのだろうか?はたと不安になった。ポケットを弄り、箱から一本銜えて火をつけた。
 揺らめく煙を眺めながら、思った。
 まったくもってまずいな、と。