はじめに

 ある方からFBR『もんじゅ』の質問を受けましたので今現在で私が認識しているあたりを書いてみたいと思います。問題や考えは多岐に渡りますし、いつも以上に冗長な話となるかと思います。ですので、めんどくさい方はお読みになられませんように。ここ2週間分のイライラも一緒に吐き出しますので。
 
 さて。
 福島第一原発事故を追いかけている最中、Twitterの方でさゆりさんから2chにおいて『もんじゅ』の炉内中継装置脱落事故に関してのスレッドが立ち上がっている事、関係管理職員が自殺した事、危険性についての見解が為されている事を知りました。(3/26)
http://2r.ldblog.jp/archives/4367597.html

 当該事故については発生当時よりローカルニュースで聞いており、原子力機構の新聞折込チラシなどでも目にしています。
 状況としては去年の夏に発生した事故、中継装置の一部が変形、このままの状態では引き抜けないこと、何度か引き抜こうとしたものの引っかかって抜けない事、という風に現在あるものと理解しています。
http://www.fukuishimbun.co.jp/localnews/nuclearpowermonjuresume/24684.html
http://www.jaea.go.jp/04/turuga/jturuga/press/rcr.html
http://www.jaea.go.jp/04/turuga/jturuga/press/2011/03/w110304t1.html


 んでま。
 こういう状況を眺めていますと、何を今更という気分にもなるのです。
 確かに福島第一原発事故のお陰で首都圏の人たちの目が原発というパンドラの箱に向いているという事も理解できますし、実際それにより引き起こされる被害というものが発生もしている。それにより原発や核というものがより身近に感じられるようになっているからこそ全てが気になり始めたというのは実際の所だろうな、とも思います。

 私が小学生の頃、敦賀原発では冷却水漏れ事故があり、一次だったか二次だったかは忘れてしまいましたが、若狭湾周辺のホンダワラムラサキイガイから放射性ヨウ素が検出されたという状況もありましたし、その関連で福井市中央市場の鮮魚部がほぼ1ヶ月ほど開店休業状態になったり、父親が家でゴロゴロしていた……勤務先の料亭が相次ぐキャンセルでやることがなく家にいたという風景も覚えています。中学生の頃、理科の副教材にはBWRやPWRの模式図というものが載っていまして授業で少し触れたりもされましたし、技術の授業では電流と放射線による人体被害についての教育もされております。まぁ、それが福井県民として一般的なものかどうかは別として。大学では生物専攻でもありましたし、放射線生物学の単位は持っています。RI取扱方については試験日に寝坊してもうどうでもいいという気分になり後で担当教員な先生から呼び出しを受けて絞られたという経験もしておりますが、まぁ、それは別の話。教員養成課程での実験ではX線回析装置の隣で線源を扱ってたりもしましたな、そういや。ガイガーカウンタは触った事がありますが、霧箱は扱った事がありません。因みに綾井学園綾井高校のモデルになった学校の近所におりましたので、そこの大学部にある原子力工学科には学祭の時に必ず出入りしておりました。放射線管理区域の標識を見ながら中学に通っておりましたしね。
 大学は宇都宮でしたし、東海村臨界事故では友人の故郷が汚染地域になったのではないかと雑談していたものですし、そんなこんなでなにそんな騒いでくさんや、という気分で現在の状況を眺めていたりもします。
 プルトニウムなら長崎にばら撒かれてますし、そこで人々は今も平気に暮らしている訳ですし。
 放射化されたナトリウムを被らなくて済む分、原発事故はそんなに脅威か? と思ったりもしています。というか、シルクロードへ旅行に行った人たちは何を今更ヨウ素なんぞに怯えているのか、とも。多分ストロンチウムで体内被曝してますよね? と聞いてみたい所だったりも。
 水道水汚染が脅威だったのであれば、茨城や福島でそういった状況があった時点で行動を起こしておくべきだったでしょうし、想定できる危機に際していち早く行動を起こした人たちを叩いて糾弾している暇があったら自分で出来る事をやっておくべきだったのです。そういう意味において、危機管理ができていないというか所詮あんたがたは対岸の火事としか見えておらんかったんだろうよ、と思わなくもないのです。
 いやま、若狭の人たちからすりゃ、嶺北住民の私も所詮は対岸なんでしょうけどね。

 さて、盛大に無駄話をした所で本題に戻りましょうか?